今日7月10日は、ローリング・ストーンズの代表曲「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」が54年前の日本で発売された日。
 ストーンズは全てのライブでこの曲を演奏しているが、この曲がリリースされた1968年は我が国ではGS(グループサウンズ)ブームがピークに達した年でもあった。
 テレビ番組「ザ・ヒットパレード」では、発売を記念する特別企画として、ザ・タイガースとザ・テンプターズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」カバー合戦が行われた。
 タイガースは初リサイタルでのストーンズ・メドレーや、「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」「アンダー・マイ・サム」「サティスファクション」「エブリバディ・ニーズ・サムバディ」「ペイン・イン・マイ・ハート」「ルビー・チューズデイ」「テル・ミー」「ラスト・タイム」「アイム・オール・ライト」など多くのナンバーをカバーしていたため、日本版ローリング・ストーンズのような印象を一般大衆に与えていた。ちなみに彼らがカバーした楽曲を本家本元のストーンズが演奏しているライブ動画は非常に興味深い。

 ところが68年になり、タイガースはオリジナルがヒット・チャートを独走すると、それまでとは違ったステージ・パフォーマンスを構成するようになる。「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」はライブアクトのために作られたような、ステージ映えする楽曲なのだが、彼らは「ザ・ヒットパレード」でのカバー合戦を除いて、この曲をカバーすることはなかった。貴公子のイメージが定着したタイガースにとって、もはやストーンズのナンバーは、数あるレパートリーの一つにすぎなくなっていたのだった。一方、日本版ストーンズを自称していたテンプターズは、この曲を68年秋の第36回日劇ウエスタンカーニバルで派手なパフォーマンスによって披露し、69年にはアルバムにも収録するなど、自分たちがこの曲のカバーの第一人者であることを内外に印象付けた。
 こうしてみると「ザ・ヒットパレード」でのカバー合戦は、タイガースからテンプターズへ、日本版ストーンズの承継が行われたようにも見え、後にストーンズの代表曲となる「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」が、そのバトンの役割を果たしたように思えるのである。