1960年代と70年代の我が国ミュージック・シーンを大雑把にみると、おおむね同じような周期でアイドル・ブームが到来しているようにみえる。単独アイドルからグループ・アイドル、そしてバンド・ブームへといった流れで、年代が増すほどにそのブームに厚みが加わっている。60年代は青春歌謡アイドルからスリー・ファンキーズ、ジャニーズといったグループ・アイドルを経てグループ・サウンズへ、70年代は新御三家や中三トリオからフィンガー5、ずうとるび、キャンディーズ、ピンク・レディー、そしてツイスト、ゴダイゴ、サザンオールスターズへ。だが、60年代と70年代の決定的な違いは、女性アイドルが台頭したことだ。60年代のアイドルは男性が主役だったが、70年代は天地真理、山口百恵、桜田淳子、ピンク・レディー、榊原郁恵といった女性シンガーたちが男性アイドルを凌駕してしまった。
 1972年から再開された月刊明星の人気投票では、72年・天地真理、75年・桜田淳子、76、77、79年が山口百恵と、8回中5回まで女性アイドル第1位の得票数が男性アイドル第1位の得票数を上回っている。そればかりではない。75年2位の山口百恵、76年2位の桜田淳子、77年2位のピンク・レディー、そして79年2位の榊原郁恵と、4回にわたって、2位の女性アイドルの得票数に男性第1位だった郷ひろみの得票数が及ばなかったのである。まさに70年代は女性アイドルの時代だったのだ。初めの頃は天地真理と男性アイドルの新御三家に人気が集中していたが、中頃になるとアイドル合戦の中心は百恵VS淳子になる。74年に百恵が女性アイドル第1位になると翌75年は淳子が抜き返す。だが、その75年は人気ばかりではなくシングル・レコードの売上をみても桜田淳子の年だった。オリコン年間ランキング・ベスト30に3曲がチャート・インし、1曲のみの百恵を大きくリードしている。その3曲の中の1曲に筒美先生の「ひとり歩き」がある。軽快に跳ねるメロディーとリズム感溢れるアレンジが秀逸なこの作品は、淳子が初主演を務めた映画『スプーン一杯の幸せ』の主題歌になった。
 ところで話のついでに70年代の年間オリコン・ランキングの第1位を見てみると非常に興味深い結果になっている。まず70年の第1位は皆川おさむ「黒ネコのタンゴ」、71年・小柳ルミ子「わたしの城下町」、72年と73年が宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」、74年・殿さまキングス「なみだの操」、75年・さくらと一郎「昭和枯れすゝき」、76年・子門真人「およげたいやきくん」、77年・ピンク・レディー「渚のシンドバッド」、78年・ピンク・レディー「UFO」、79年・渥美二郎「夢追い酒」おまけの80年はもんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」。皆川おさむは当時6歳の童謡歌手、ぴんからトリオは音楽漫才師、殿さまキングスはコミック・バンド。そしてさくらと一郎、子門真人は言うまでも無くワンヒット・ワンダー。1970年代のミュージック・シーンは、昨今のチャートのように同じアイドルが何年も第1位を続けることなどありえなく、それ故波乱に富んだ面白さがあった。