お盆休みにすることが無いので、退屈しのぎにだいぶ前に購入した映画「若い季節」のDVDを観た。この作品は当時NHKで放送されていた人気番組を映画化したもので、60年代初頭のサラリーマンの姿がコミカルに描かれている。中身のないコメディ映画と言ってしまえばそれまでだが、今の時代と照らし合わせてみると、明日への希望があって、それゆえ明るく活力があった良き時代の雰囲気が強烈に伝わってくる。DVDのパケ写では中央にいるハナ肇がまるで主役のようだが、彼の出番は殆どなくて全くと言っていいほど印象がない。むしろ当時のポスターのように全員参加型の作品で、登場回数から言うと、やはり当時大人気だった植木等、坂本九、ジェリー藤尾の三人に、売り出し中の谷啓が突出していた。
  ところで僕らの年代は、少年漫画のヒーローたちが、まるで僕らの成長と並走していたような感がある。ヒーローたちは普及し始めたテレビ画面に僕らを引き寄せた。1958年2月に放送が開始された「月光仮面」を皮切りに、同年11月には「遊星王子」、翌59年になると3月に実写版「鉄腕アトム」と「少年ジェット」、4月「まぼろし探偵」、6月「七色仮面」と次々にヒーローたちが登場してくる。当時の僕はまだ幼稚園に入園する前で、これらの番組のうち家族で観ていた「月光仮面」を除いてはリアルタイムではなく、入園した翌60年に再放送で観ることになった。だが、その1960年が凄かった。1月に「海底人8823」と「白馬童子」、2月には実写版「鉄人28号」、4月「怪傑ハリマオ」、5月「矢車剣之助」、7月「アラーの使者」、そして8月には「ナショナルキッド」が登場する。まさに黄金の60年代の幕開けを祝うかのようにヒーローたちが目白押しだった。これらのヒーローの殆どは「少年」や「少年画報」「ぼくら」「少年クラブ」「冒険王」といった月刊雑誌に掲載されていたが、僕が小学校に入学する1961年には少年サンデー、少年マガジンの2大週刊誌が頭角を現わしてきた。61年5月にナショナルキッドの後番組として登場した「少年ケニヤ」は少年サンデーに連載。そして翌62年には、少年マガジンで大人気になった「チャンピオン太」が11月に実写化された。翌63年になると、今度はヒーローたちが実写からアニメへとその活躍の場を移す。1月にアニメ版「鉄腕アトム」が登場。後を追うように10月には「鉄人28号」がアニメ化、11月には「狼少年ケン」と「エイトマン」のアニメが放送開始となった。また1963年は、サンデー、マガジンの後を追って8月に週刊少年キングが創刊された。当時小学校3年生だった僕は、キングに連載されていた「忍者部隊月光」のファンになった。63年から64年にかけて俄かに忍者ブームが起こり、月光は64年1月に実写化され、6月には「少年忍者風のフジ丸」がアニメで登場。どちらも映画化されるほどの人気コンテンツとなった。
 さて日本中が東京オリンピックに沸いた1964年。小学校4年生になった僕は、学校の勉強以外はすべて興味の対象だった。スリー・ファンキーズのカバーで「抱きしめたい」を聴いてから、その興味の中心は、少年漫画のヒーローからポピュラー音楽へと移って行った。

映画ポスター
パケ写