お盆休みに入ると僕のような古い人間は、原爆や終戦の話題に目が行き、自ずと「昭和」を意識してしまう。自分なりに「昭和」をふり返ってみれば、それぞれの年代にテーマがあり、そのテーマを反映するアーティストがミュージック・シーンの象徴となっていたように思う。遡りながら眺めてみると、1980年代は桑田佳祐とユーミン、70年代はジュリー、60年代は九ちゃん、そして50年代は美空ひばりが時代のシンボルだった。
 高度経済成長をひた走っていた60年代、九ちゃんの屈託のない笑顔は、明るく元気な時代を反映していた。70年代に入り〝モーレツ〟から〝ビューティフル〟へ。一億総中流社会が求めた美の象徴は、何と云ってもジュリーだ。そしてバブルに沸いた80年代。ゴージャスなお祭り騒ぎを楽しませてくれた桑田とユーミンの二人は、昭和を跨いで平成最後の紅白を異様に盛り上げた。では50年代のテーマとは何だったのか。それは、やはり我が国のアイデンティティと言えるだろう。
 美空ひばりはサンフランシスコ講和条約発効の前日、まさに米軍が撤収を終えたその日に、それまで男性しか上がれなかった東京・歌舞伎座の舞台で公演を行った。そこでお披露目となった「リンゴ追分」は爆発的なヒットとなり、美空ひばりは独立国家・日本のミュージック・アイコンとして大衆から喝采を浴びるのである。その後、彼女はオールラウンダーであるも拘わらず、あえて自らを〝演歌歌手〟と定義づけた。そして60年代にはロック・コンボのブルー・コメッツと、70年代にはフォークの岡林信康と、80年代にはテクノ・ポップの坂本龍一とコラボレーションし、いずれも自らの天才的な歌唱力を見せつけることで、〝演歌〟が国内音楽の主流であり、ロックやフォークなど演歌以外のジャンルはキワモノにすぎないことを大衆に印象づけたのだ。結果、いつからか〝演歌は日本人の心〟などと訳の分からないことが言われるようになった。
 ところでジュリーがROCKERとしてミュージック・シーンを制した時、「でも彼は日本の心を持っていますよ。だって彼は和服が似合うでしょ」と分かった風な口を利く評論家がいたが、「アホ、ジュリーは何を着ても似合うんや」とファンなら誰しも思っていたに違いない。それはそれとして、僕の祖母は大の音楽好きで、美空ひばりのファンだった。祖母が好きだったのが「花笠道中」。天国で聴いてくれるといいな。

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