目方誠
 
ここで言う「なんでも歌える歌手」とは、ジャズやロック、演歌に至るまであらゆるジャンルを歌いこなすオールラウンダーのことではない。かっこつけた少年、悲劇の若者、お笑い芸人からアニメの主人公まで、要するにいろんなキャラクターの歌を歌える歌手のことを言う。そんな歌手の代表と言ってもいいのが美樹克彦。といっても僕には目方誠の方が馴染み深いのだが、一般的には美樹克彦なのだろう。美樹は本名の目方誠の名で子役として活躍する一方、中学二年生で歌手デビューする。当時カバー・ポップスが大ブームで、彼のデビュー曲もフレディー・キャノンの「トランジスター・シスター」。この曲は飯田久彦やベニ・シスターズらもカバーしていて目立ったヒットにはならなかったが、彼は伊藤アイ子、安村昌子、渡辺順子(後の黛ジュン)といった中学生歌手たちとともにメルク・ティーンと呼ばれ、MCを務めるレギュラー番組を持つほどの売れっ子になった。当時の彼は、おませな少年というよりは、学校の勉強以外は何でも知っていそうな少年。したがって僕の家族らは当然彼を嫌っていたが、僕は逆に親しみを覚えていた。だがカバー・ポップスのブームが終焉すると同時に彼もどこかへ消えてしまう。ところが青春歌謡全盛の1965年、美樹克彦と名を変えて、両手で指をならしながら再デビューした時は驚いた。サンダース時代のジュリーが彼の歌を歌っていたと書いてあったのを何処かで読んだ記憶があるが、それはそれとして美樹克彦、いや目方誠の再デビューはインパクトがあった。彼が一躍有名になったのは「かおるちゃん、遅くなってごめんね」ではなくて「花はおそかった」。ウィキペディアには〝ラストの台詞で「バカヤローー!!」と叫び、当時物議を醸した。その後も「バカヤロー!!」と叫ぶ台詞がある楽曲は、西城秀樹の「白い教会」(1975年)、近藤真彦の「ブルージーンズメモリー」(1981年)といった男性アイドル歌謡曲へ引き継がれた。〟と書かれているが、僕の周りでは「バカヤロー」ではなく「○○ちゃん、遅くなってごめんね」が流行っていた。その後彼はテレビや映画の主題歌を歌ったり、「紅三四郎」などのアニソンを歌ったり、また80年代には「好きさブラックデビル」や「ゲートボール音頭」などを歌って常軌を逸したかと思いきや、「もしかしてPARTII」できっちりとメジャー・シーンに戻って来るのである。だがやはり美樹克彦のルーツはカバー・ポップスだろう。とりわけ「マッシュ・ポテト」は笑える。ディーディーシャープが聴いたら怒り出しそうな歌詞だが、彼が後になんでも歌える歌手になった原点はここにあるに違いない。

因みに1962年は前年のドドンパに続いて、ツイストが大流行し、日本国中ダンス・ブームに沸いていた。マッシュ・ポテトもブームに乗じて登場した訳だが、その進化形は「1986年のマリリン」に見ることができる。

そういえばマリリンが亡くなったのは1962年だったな・・・・