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LETS GO THE TIGERS」を買ったのは1968年の正月2日だった。今もはっきりと覚えている。東住吉区の針中野にある楽器店だった。その店はレコードや、この本のようなソノシート付き写真集も売っていた。中学一年生だった僕はザ・タイガースのファンではなかったのだが、初めて見た写真集というのが何となく面白そうで、これを買えば新しい時代の到来を体感できるのではないかと思った。その夜のことだった。僕がザ・タイガースのファンになったと勘違いした父は、突然怒り出して、せっかく買った「LETS GO THE TIGERS」を処分してしまったのだ。だがこの頃の僕は、今ほど物に対する執着がなく、またこのような写真集はひょっとしたら女子が持つべきものなのではないか?という思いがどこかにあって、処分されたことに対して腹立ちや悲しみは沸いてこなかった。ただ父が「ザ・タイガース=不良」という当時の大人たち、とりわけ教育者と呼ばれるような人たちと同じ価値観を持っていたことが、この時はっきりと分かったのだった。それから数年経ち僕が高校二年生の夏、我家は同じ区内だが少し離れた場所に引っ越した。引っ越しの時、父は僕に「これで君も辛い思いをしなくて済むだろう」と言った。僕には父が何を言っているのか、その意味がさっぱり分からなかった。引っ越す前、僕の家は、府下では有名な進学校だった天王寺高校の真裏手にあった。そのため僕は通学時、天王寺高校の大勢の生徒たちと顔を合わせていた。なんと父はそのことで僕が辛い思いをしていたと思っていたのだ。要するに父は、僕が天王寺高校の生徒たちに対して劣等感を持っていると思っていたのである。これには僕も驚いた。と同時に、劣等感を持たなければならなかったのか!と思ってしまったものだ。当時の僕には父の価値観は理解し難いものだった。だが父とは全く違う時代を生きてきたのだから、僕が父の価値観を理解できないのは当然と言えば当然だった。
 父は生前よく「立身出世」という言葉を口にしていた。「仰げば尊し」の歌詞を例に出し、「身をたて名をあげ、やよはげめよ」が大事であることを何度も語っていた。それが父の価値観であり、我が子に対する願いでもあったのだろう。確かに同級生の中には「歴史に名を遺したい」という奴が何人かいたし、今でも同業者の中には出世を目指している奴が大勢いる。だがそれに反して今までの僕は、好きな音楽を聴きながらのんびりと生きてきた。思えば何という親不孝者だったのだろうか。オークションで入手したこの「LET‘S GO THE TIGERS」を手にするたび、父の願いに少しでも近づこうと、精進の誓いを立てている今日この頃である。