僕が少年画報の存在を知ったのは昭和37(1962)年のことだ。お正月の、確か3日だと記憶しているが、母が恩師の家に年始の挨拶に行くので一緒に行かないかと誘われた。というのも、その恩師には3人の息子がいて、三男が僕よりも3つ4つ年上で成績優秀だったらしく、母にとってはその三男から僕が勉強を教えてもらえばいいと思っていたらしい。恩師の家は長屋の二階建てで、2階が息子たちの部屋になっていた。家に着いて挨拶を済ますと、2階から三男が降りてきた。母は三男に「この子に勉強、教えたってな」と言って、僕たちが2階に上がるよう促した。だが、その三男は僕に勉強ではなく、少年画報の存在を教えてくれたのだった。彼が持っていた何冊もの少年画報のうち、特に目を引いたのが昭和36(1961)年12月号。江木俊夫扮するパイロットAが表紙だった。だが当時の僕は「画報」の「報」が読めなくて、自分には少し難しい雑誌のような感じがした。その頃の僕は月間少年雑誌を年に2冊、夏休みとクリスマスに親から買って貰っていた。前年の36年は、夏休みに「少年」8月号、そしてクリスマスには新年号を買って貰っていた。だが、僕が三男から見せてもらった少年画報には、なんと大好きな「まぼろし探偵」が載っていたのだ!この日を境に、僕の興味は「少年」から「少年画報」へと移って行った。僕にとって少年画報は、「まぼろし探偵」が載っている少し難しそうな少年雑誌として憧れの対象となったのだ。ところでこの年、僕はこの憧れの少年画報を夏休みを待たずして手に入れることができた。新学期が始まってすぐに病気になった僕を不憫に思ってか、母が買ってきてくれたのだ。だが買って貰った少年画報昭和37年2月号には「まぼろし探偵」は載っていなかった。江木俊夫扮するパイロットAが表紙の36年12月号で連載が終了していたのだ。因みに昭和37年に買って貰った月刊雑誌は、この1冊だけだった。夏休みに入る頃には僕の興味は週刊少年マガジンに連載されている「チャンピオン太」へと変わって行ったのだった。
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