今年は東京でオリンピックが開催されるが、前回1964年に開催された時、僕は9歳だった。当時の日本人選手の活躍は、女子バレーの金メダルやマラソンの円谷選手など、メディアが繰り返し報じたため、56年の歳月を経た今日でも記憶に鮮やかだ。大会が終わって暫くすると、小学校では「学研版・小学生のための東京オリンピック」という、今でいえば写真集のようなムック本が生徒一人一人に配布された。この本の価格表示は「団体価格200円」となっているので、小学校が一括購入して、父兄がその代金を支払ったのだろう。少年マガジンが40円だったから、団体価格といってもその5倍もした訳で、当時では豪華本だったに違いない。それなのに我家では、手にして一年も経つか経たないうちに、他の雑誌と一緒に捨てられてしまった。親にとってはオリンピックなど何の興味もなかったのだ。だが僕にとっては、たった1ページであるが、この本にあるグラビアがずっと頭を離れなかった。
先日、何気にヤフオクを見ていると、この本が出品されていた。開始価格が1円であったことと、記憶に残る1ページを確かめようと入札したところ、開始価格の1円で落札することができた。早速、その1ページを見つけたが、確かに僕の記憶通りだった。
泣き崩れるファーガソン選手の右手を支えるフランスのクリスティーヌ・キャロン選手。彼女のあまりの美しさが、マセガキだった僕の心を鷲掴みにし、その記憶が56年の歳月を経た現在でも残っていたのだ。その後、インターネットで調べて分かったのだが、オリンピック開催前から彼女の美しさは話題になっていたようだ。
だが、いくらマセガキだったとはいえ、9歳の僕にとって、彼女との出会いは大会終了後に配布された本の中の1ページだった。キャロン選手はその後、そのルックスを生かして女優になったらしい。
コメント
コメント一覧 (4)
クリスティーヌ・キャロン選手(愛称:キキ)の写真も数枚ありますが、主役はチャスラフスカ選手で、巻頭の20頁ほどは全て彼女の写真でした。
水泳ではやはり女優として活躍した木原美知子選手(愛称:ミミ)の写真もあります。木原さんとは従兄が大学が一緒で、体操の遠藤幸雄さんが教官だったそうです。
先日「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を見ましたが、当時小学三年生だった私としては、映画に登場する小学生たちと同じく、「また、ひょうたん島の時間にオリンピックだぜ。もうオリンピック飽きた~」という心境でした。
コメント有難うございます。
さすが地元だけあって臨場感が全く違いますね。大阪ではオリンピックは彼方の出来事で、ひょうたん島と比べたことはなかったです。
個人総合優勝したチャスラフスカ選手は大会のヒロインのような扱いでしたが、子供には演技がよく分かりませんでしたし、当時の私にとっては彼女はオバサンで、ときめくものが全くなかったですね(笑)。
情報の東京一極集中という言葉がよく使われていましたが、コメントを頂戴して、改めてそれを感じました。
東京オリンピックは、今も鮮やかに記憶に残っています。
もちろん、後にTVや映画で繰り返し見たせいもあると思います。
重量挙げの三宅選手、体操やバレーボールに熱狂しましたが
その後の、円谷選手の自死は傷ましかったです。
コメントに書かれているように、チャスラフスカや木原選手は
オリンピックの花でした。
キャロン選手は知りませんでしたが、私にはグラビアの隅に写っている、
負けて悔し涙にくれる、田中聡子選手が印象に残っています。
何故なら、字は違いますが私と名前が同じだったので。
家族で応援していましたが、結果は切ないものでした。
コメント有難うございます。
ご家族で応援されていたことをお聞きして、昭和の団欒が思い出され、心がほのぼのと温かくなりました。
当時の子供だった私たちは貴重な体験ができて幸せだったと思います。
感動を与えてくれた選手の方たちの記憶は永遠ですね。