もうすぐ子供たちの夏休み。童心に帰り夏休の宿題によくあった読書感想文を書こうと、ユリイカ「総特集萩原健一ショーケンよ、永遠に」を買った。少し読んだ後、退屈になってきたので何気にYOUTUBEを見たら、とんでもない動画に出くわすことが出来た。なんとジュリーが「九ちゃん音頭」を歌っているではないか!しかも、パラダイス・キングをバックに当時の踊りまで交えて!!

ジュリーと九ちゃん、キャラクター・イメージではある意味対極とも言える二人だが、実は二人ともジャズ喫茶で人気者となり、日劇ウエスタン・カーニバルが初舞台、方やパラダイス・キングのフィーチャリング・シンガー、方やザ・タイガースのボーカリストとして一世を風靡した。ロカビリーとGS。二人の出自はともに際物扱いされた「不良の音楽」だった。その後二人はソロになり、我が国を代表するシンガーとなる。同じなのはイニシャルだけではなかったのだ。

ところで僕には、人から何と言われようと絶対に譲ることのできない持論がある。それは、我が国のミュージック・シーンにおいて1960年代は「坂本九の時代」、そして70年代は「沢田研二の時代」だと言う持論である。それぞれの時代、二人の放つ影響力によってどれほどのフォロワーが生まれたことだろうか。二人がそれぞれの時代の象徴であったことを如実に物語っているのがNHK「紅白歌合戦」だ。1961年バラエティ番組「夢で逢いましょう」で歌った「上を向いて歩こう」の大ヒットで初出場、その後NHKの申し子のように「紅白」出場を続け、68年と69年には2年連続で白組男性軍の司会者を務めた九ちゃん。そして彼がその役目を果たし終えたかのように「紅白」を去った1972年、入れ替わるように初出場したのがジュリーだ。この年の「紅白」は1963年に続き80%を超える視聴率を記録した。その後ジュリーは1978年、ロック・シンガーとして初めて大トリを務める。「紅白」では常識となっていた大トリ=演歌という構図が、ジュリーによって初めて崩されたのである。如何に彼のパワーが凄かったかを物語る出来事だ。

さて、「紅白」と同じように、60年代の覇者と70年代の覇者が同じステージに立ったのを僕は見たことがない。そればかりか芸能雑誌においてもジュリーと九ちゃんの対談が掲載されたのを見たことがない。ジュリーはかつてのコンサートで全盛時のカバー・ポップスを歌ったが、それは「ダイアナ」や「ハロー・メリー・ルー」、「ルイジアナ・ママ」などで、九ちゃんが歌っていたカバー・ポップスは歌わなかった。そのジュリーが「九ちゃん音頭」なのだ!