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 昨年のレコード大賞授賞式で
DA PUMPが「YOUNGMAN」の振り付けを最後に踊ったことが話題になっている。思えば1979年、「YOUNGMAN」は外国のカバー曲であることを理由に部門賞ですらノミネートされなかった。当時を振り返ってみると「YOUNGMAN」の振り付け〝YMCA〟は、老若男女問わず誰もが知っていたように思う。当時はまだ言葉として存在しなかったが、「YOUNGMAN」を歌った西城秀樹は、まさに〝国民的アイドル〟と呼んで相応しい存在だった。昨年に関して言えば、やはりDA PUMPが国民的アイドルと呼べるのではないだろうか。僕は彼らの「USA」を、孫のお遊戯会での園児たちのパフォーマンスで知った。老若が認知して初めて〝国民的〟と呼べるのだと僕は思う。ちなみに僕は白石麻衣が好きなので乃木坂46の存在は知っているが、彼女たちの歌は全く知らない。僕より年上の友人は白石麻衣さえ知らない。

 ところでレコード大賞はその年、最も話題になった楽曲や国民的アイドルに贈られるわけではない。それは既に過去の歴史が物語っている。記憶に新しいのはSMAPを国民的アイドルに押し上げた「世界に一つだけの花」。これはSMAP側が賞レースを辞退したことによるが、辞退していなかったとしても大賞を獲れたかどうかは分からない。遡ると1966年。この年「君といつまでも」の大ヒットで自作自演歌手・加山雄三が歌謡界を席巻した。当時僕は小学生だったが、クラスでは加山が新曲をリリースすると、みんな競って歌い始めた。また何でか知らんが大人の宴会に連れて行かれた時、酔っぱらったお婆さんが「君といつまでも」を歌い始め、みんなで大合唱していたのが記憶に残っている。まだカラオケなかったもんな・・・。こんな風に当時「若大将」と呼ばれていた加山雄三は、まぎれもなく国民的アイドルだった。だがこの年のレコード大賞受賞曲は橋幸夫の「霧氷」だった。「霧氷」はこの年の10月に入ってからリリースされたが、発売前にレコード大賞を獲ることが決まっていたようで、発売元のビクターは「大賞曲」として大量にプレスしたらしいが「まるで売れずビクターは大損害を被った」と後に明星の記事を読んで知った。確かに僕が「霧氷」を知ったのはレコード大賞受賞後だった。当時、国民の「?」に作曲家協会は加山の歌唱力に問題があると答えたが、そしたら橋の歌唱力はどうなの?いや、その前にそもそも歌唱力ってな~に?要するに作曲家協会としては、加山はあくまでも俳優であって、彼を歌手や作曲家として認めたくなかったってことだろう。「天は二物を与えず」だから?

さらに5年遡って1961年。この年は後に世界的な大ヒットとなる坂本九の「上を向いて歩こう」がリリースされ、我が国でも大人気を呼んだ年だった。だがこの曲はカバー曲でなかったにもかかわらず、部門賞にさえ掠りもしなかった。レコード大賞を受賞したのはフランク永井が歌った「君恋し」。この曲は大正時代に作られ二村定一によって歌われた、言わばカバー曲だが、外国のカバーはダメでも日本のカバーはOKという事か。言うまでもなく、九ちゃんは当時の国民的アイドルだったから、この時も日本国民は大きな「?」を掲げたのだった。

さて今となってはレコード大賞も全く権威がなくなってしまったが、1970年代は国民にとって「紅白」と並ぶ年末の一大イベントだった。70年代は数多くのヒット曲が生まれ、国民の期待が賞レースにも反映されていたのだった。国民の期待度は大賞発表がテレビ中継されてからの視聴率で測ることが出来る。大賞受賞者への国民の期待がピークに達したのは1977年。この年、視聴率はなんと50.8%を記録した。まさに国民の半数以上が賞レースに注目していたと言える。そしてこの年、大賞を受賞したのは、我らがジュリー・沢田研二だった。