日本が長寿社会になったのを受けて、バンドの寿命も長くなったようだ。クレイジー・キャッツのようにメンバーが一人になっても解散していないバンドもある。そんな中でブルー・コメッツは何回もメンバー・チェンジを繰り返しながら、現在はレコード大賞受賞時のメンバーになっているようだ。残念なことに稀代のプロデューサー・井上忠夫はこの世を去ってしまったが・・・・。

僕がブルー・コメッツを初めて見たのは1965年。彼らがジャニーズのバックを務めていた時だった。と言っても彼らはダンスを踊っていたのではなく、楽器を演奏していた。要するにバック・バンドだったのだが、フォーリーブスとハイソサエティやマッチとヤマトのような専属性はなく、尾藤イサオやザ・ピーナッツなどのバックも務めていて、「ザ・ヒットパレード」の常連だった。

1966年になって「青い瞳」という曲がヒットパレードに登場する。彼らはこの曲を英語で歌っていたので、子供だった僕はてっきり外国の曲だと思っていた。しばらくすると「青い瞳」の日本語バージョンが出て、これがブルー・コメッツを世に知らしめる大ヒットとなるのだが、その時も僕はカバー・ソングだと信じて疑わなかった。それほど子供の耳には当時の流行歌と全然違って聞こえたのだ。ブレイクした彼らは、テレビドラマの主題歌として使われた「何処へ」をリリース。この曲も好きだったが、B面の「センチメンタル・シティ」が大好きで、〝バッキントゥーザターン、バッキントゥーザターン〟と意味も解らず大声で歌っていた。だが彼らの楽曲の中で一番のフェイバリットを上げるとすると、やはり「希望にみちた二人のために」だろう。ギタリストでボーカルの三原綱木の作品だが、この曲はラジオの深夜放送で流れる程度でまるで売れなかったと記憶している。