1960
年代後半にGSブームが終息すると、若者たちの間にはフォーク・ソングがブームとなり、1970年代初頭にかけて全国各地で活躍していたグループがラジオの深夜放送やローカル番組を通じて次々と頭角を現し始めた。60年代後期の代表格はメジャー・シーンを制覇したフォーク・クルセダーズだったが、関西では彼ら以外にも多くのユニットが活躍していて、それはクルセダーズ解散後もそれぞれのメンバーが活躍する土壌を作っていた。70年になってソルティ・シュガーがミリオンセラーを放ちワンヒット・ワンダーとなるが、71年にはまた関西エリアのネットワークの中から次々とヒットが生まれた。とりわけレコ大新人賞を獲るシモンズの活躍が代表的だが、彼女たちの楽曲を西岡たかしやアリス結成直後の谷村新司が書いたりしていた。当時の谷村新司は、関西では〝ちんぺい〟と呼ばれ、既に名の知れた存在だった。そんな関西ネットワークの中に杉田二郎もいた。彼は1967年にジローズを結成していたが、クルセダーズ解散後にはしだのりひこが作ったシューベルツに参加し、その後またメンバーを変えてジローズを結成する。1971年にリリースした「戦争を知らない子供たち」は後に映画化されるほどのヒットとなった。この「戦争を知らない子供たち」は、当時のフォーク・ソングという概念をある意味支えていたジェネレーションのメッセージという側面から見れば、学生運動が終息に向かう過程を上手く表現しているのかもしれない。その後72年のあさま山荘事件を経て、フォーク・ソングは吉田拓郎や井上陽水の楽曲に象徴されるように社会に対するメッセージは無くなり、やがてニューミュージックというコンセプトに包括されていく。

ところで僕の母は杉田二郎のファンで、彼のカセットテープをたくさん持っていた。僕は「戦争を知らない子供たち」は好きではないが、ジローズの楽曲はよく聞いていた。中でもいろんなアーティストにカバーされている「涙は明日に」は、メッセージの対象が社会ではなく普遍的な個人であり、曲もアレンジも洗練されていて、後世に残る名曲だと思う。