一昨日、二年前から更新をストップしているブログ「ザ・タイガースの真相」へ急に読者が集まりだしたので何の騒ぎかと思ってYahooを見たら、ジュリーがコンサートをキャンセルしたことが報じられていた。更新が止まっているブログにも影響を与えるなんて、やっぱりジュリーって凄いな。
ところでレトロに戻って「月刊平凡」のお話。「平凡」の創刊はなんと終戦の昭和20年12月。その後、昭和20年代後半には100万部を突破する人気雑誌となる。が、塩澤幸登著・「『平凡』物語」によると「行儀の悪い小学館資本系列」の集英社が発行した月刊明星に部数を抜かれてしまう。塩澤氏は新井恵美子著「マガジンハウスを創った男」から月刊明星の登場を以下に引用している。
「昭和27(1952)年8月、集英社から芸能娯楽雑誌『明星』10月号が発行されたのだ。表紙から内容まで『平凡』に酷似するソックリ雑誌の登場である。これまでの日本人の感覚からすると他人が創りだしたものを真似るということ自体、道義上許されなかったし、あり得ないことだった。事もあろうに大手の出版社がそれを平気でやってしまったのだ。」
資本主義だから、大手資本が勝つのは当たり前か。だが1960年代の読者数は、「明星」よりも「平凡」の方が多く、たとえば「平凡」が1965年10月号で橋・舟木・西郷の三人を「御三家」と呼んだことがキッカケとなり、三人を称する「御三家」という言葉が定着して行くのだ。おもしろいことに「明星」では彼ら三人を「ビッグ3」とか「3エース」とか読んで、誌面では「御三家」という言葉を一切使っていない。ここだけ真似しなかったのは大手資本の意地なのかも。さて、その「平凡」が「明星」に抜かれる前の1960年代の人気投票は
1961年

1961

1962年
1962

1963年
1963

1964年
1964

レトロメディアとして1960年代から80年代に至る人気歌手の系譜を総括すると
1960年代前半は橋幸夫と美空ひばり、60年代後半から70年代前半にかけてはグループ・サウンズやフォークなどがブームとなってしばらく人気歌手のブームはお休みで、70年代後半から郷ひろみと山口百恵、そして80年代前半は田原俊彦と松田聖子、こんな感じかな。