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月になって学生の間では運動会の練習が始まる頃だが、僕にとって一番印象に残っているのは高校2年生の運動会、ではなくて「体育大会」だった。体育大会は9月の下旬に行われ、全校生徒を4つのチームに分けて競い合った。各学年が8クラスあり、学年毎に4つに割ったため、僕のクラスも他のクラスとチームを組むことになったのだが、どのクラスと組むのかをどうやって決めたのかまるで記憶にない。勿論、1年生や3年生のどのクラスと組んだのかも全く記憶に残っていない。覚えているのはチームを組んだ他のクラスの中に宮野君というイケメンがいて、彼がリーダーになって一緒に応援団をやったことだ。応援団は、3年生は何故か参加していなくて1年生と併せると20名くらいになったと思う。僕たちの応援は当時としては画期的だった。歌舞伎のような振り付けで、クライマックスは宮野君と僕が陣の左右の端に分かれ、太鼓の合図で中央まで走ってきてお互いが交差するように空転を切って終わるというものだった。僕たちの応援に触発されたのか、翌年から応援合戦には空転、バク転は付き物となったようだ。ここまでだと体育大会が楽しい思い出のようだが、その終わりが悲惨だった。応援合戦の練習で親しくなった宮野君が僕にダブル・デートの誘いを持ちかけて来た。彼は当時大人気だった沖雅也に似たイケメンだったので、ガール・フレンドを選ぶ側だったが、僕にはそんな権利はなかった。にもかかわらず、無謀にも僕は練習の時に見かけたルックスのいい女子に声をかけてみようと思ったのだ。今思うと、小学生の時の成功体験をもう一度味わいたかったのかも知れない。競技が全て終わり、キャンプファイアの始まりを狙って僕は彼女に声をかけた。何を言ったのかまるで記憶にないが、結果は勿論「NO!」だった。とりたててイケメンでもない、一度も話したことのない輩とデートする女子などこの世にいるはずがない。僕にとっては小学生の時の成功体験が仇となってしまった訳だが、この時のショックは大きかった。以来、僕は自分から女子にアプローチしたことは一度もない。だから幸か不幸か、女にフラれたのは人生において後にも先にもこの時一回切りだ。
 応援合戦の練習に夢中になっていたため、学期末テストはボロボロだった。自らが巻いた種で散々な目に遭った訳だが、人生痛い目に遭うことは決して無駄ではない。僕は高校生活を通して、自らが超えるべきハードルを理解することが出来、また「成りたい自分」の姿を鮮明にイメージすることが出来たのだ。で、この年の秋だが、日本のミュージック・シーンは海外アーティストたちの実りの秋だった。来日したGFRやツェッペリンに続いて「シェリーに口づけ」のミシェル・ポルナレフやシンガーとして存在感を露わにしたキャロル・キングが台頭。また「小さな恋のメロディ」で日本のリスナーにも認知されるようになったクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングは、ビートルズ解散後人気の頂点にいたレッドツェッペリンを追い落とした。彼らのアルバムの中で気に入っているのが「金字塔」。とりわけナッシュの歌う「狂気の軍隊」がいい。