1965年、僕は小学校5年生で成績は最悪だった。担任が勉強にうるさく、学期末にはクラスの順位表を作って保護者会で公表していた。僕は50人いるクラスで40番前後だった。順位を知った母は何かの間違いではないかと思ったらしい。持って帰って来るテストの平均点がどの科目も70点前後だったからだ。勿論、僕が30点を80点、25点を75点に書き換えていたからで、それがばれてから僕は家族から「嘘つき」と呼ばれた。当時プールの時間になると生徒たちがどれだけ泳げるかで水泳帽に巻き付ける細長い帯が配布された。10メートル泳ぐと赤線1本、25メートルで2本、50メートルで3本だったと記憶している。僕は10メートルを泳ぎ切ったのだが、誰かが担任に途中で僕が立ったと嘘の告げ口をしたため赤線を貰うことが出来なかった。嘘の告げ口した奴は、おそらく僕より成績がよかった奴だったのだろう。僕の担任はそんな教師だった。腹がたった僕は、学校の帰りに近所の小間物屋で赤線帯を1本買って帰った。ちょうどバスの定期が切れていて、バス代として小銭を貰っていたので、その日は学校から歩いて帰ったのだ。

この年の夏はジャニーズがブレイクした。我が国ではビートルズよりもベンチャーズに人気があって、「スイム」や「ホットロッド」などのダンスが流行っていた。歌って踊れるジャニーズは人気の的だった。僕はどちらかというと健康優良児的な彼らはあまり好きではなかったが、ゴーゴーズのカバー「チキン・オブ・ザ・シー」は好きだった。演奏を務めるのはブレイクを目前に控えたブルー・コメッツだ。