月刊「少年」のテレビニュース 2018年01月20日 11:55 1959年から60年初頭にかけて、月刊「少年」に連載されていた鉄腕アトム、鉄人28号、遊星王子や矢車剣之助、そして海底人8823などが実写でテレビ放送されていた。「少年」にはテレビニュースと題してそれらの番組が紹介されていた。1959年7月号1959年8月号 1960年2月号 1960年3月号 「月刊少年雑誌」カテゴリの最新記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (62) 1. 昔の少年 2018年01月20日 18:47 ハルト様 素晴らしい少年のテレビニュースを早速掲載頂き、ただひたすら感謝です。有難うございます。かように鮮明な写真は、見たことがありません。アトムや金田正太郎を懸命に応援した事を思い出します。 雑誌少年をお持ちなようなので、追加で以下をお願いできませんでしょうか。 1. 60年1月号の写真。確か、アトムが手塚先生と並んで映っていました。 2. 60年2月号は、その写真のコラムの中に書かれているように、108ページかどこかに、アトムの説明があったと思うのですが。確か、この写真等の説明もあり、「軍服を着て大評判です。僕らも瀬川君を応援しましょう。」と言うような事が書かれていたと思うのですが。この記事も掲載頂けませんでしょうか。昔が、より思い出せます。 2. 囃ハルト 2018年01月21日 07:55 昔の少年様 早々のコメント有難うございます。 掲載致しました記事のうち1959年7月号及び8月号は所持しておりますが、60年2月号、3月号およびコメントに記されている1月号は残念ながら所持しておりません。2,3月号はオークションで落札した後、グラビア写真が珍しかったのでスキャナー保存し、その後またオークションに出品してしまったのです。ご期待に沿うことが出来ず、申し訳ございません。 3. 昔の少年 2018年01月21日 08:50 ハルト様 了解いたしました。60年2、3月号をまた、オークションに出されたのは、残念です。 しかし、グラビア写真をスキャナー保存頂いたので、鮮明な写真を拝見できて感激しています。有難うございます。光文社に、テレビニュースの冊子を作成して欲しいものです。 光文社の図書館に、少年の蔵書があるようなので。 グラビア写真は、青っぽい色がついていたのがよく判ります。 また、60年2月号のアトムと金田正太郎の写真は、テレビのフイルムからのピックアップではなく、雑誌少年のカメラマンが撮って編集したものと思われます。アトムのDVDを見ても、このようなシーンはありませんでした。 原作の漫画のアトム少佐の軍服とは、随分違うので、当時驚きましたが、衣装係が、新コスチュームに合わせて考え出したのでしょう。それにしても、当時の子供としては、瀬川君の脚は異様に?長いですね。大人の隊員と脚の長さはほぼ同じに見えます。 私は、彼がアトム役に選ばれたのは、ふっくらしいている以上に、脚が長かったからと見ています。アトムは基本、パンツとブーツですから。 4. 囃ハルト 2018年01月21日 12:55 昔の少年様 なるほど。意識して見れば、確かに実写版アトムは脚が長いですね。それに比べると実写版鉄人28号の脚は貧弱です(笑)。 5. 昔の少年 2018年01月21日 15:02 ハルト様 当時の子役に対する私の同級生達の評価を少年の60年2月号のグラビアで説明できると思います。 内藤正一さんは、如何にもお坊ちゃんと言う感じのかっこ良い少年として選ばれた。今でいうイケメン? 女の子にも、人気があったでしょう。 海底人8823の少年は、極普通の子。従って、余り子供が話題にはしなかった。演技がうまかったのか? 実写版鉄腕アトムの瀬川さんは、アトムの体形にふさわしい子が選ばれた。 どんなコスチュームを着せるにしても、ボディコンは必須なので。 小6で、頭分一つ背が高い大人と同じ脚の長さですからね。また、太もももふっくらしているタイツが貧相で無い子供を選んだ。当時の日本に、こんな脚の長い子がよくいたものです。アトムは時々、クラスメートと一緒に歩いたりしていましたが、瀬川君の脚の長さと、太ももの太さ(笑)をよく覚えています。この写真にもあるように、タイツによくしわが寄っていたのも有名です。コスプレでの愛嬌と言う感じです。(笑) ネットの記事によると瀬川さんが後日談で、「当時は、恥ずかしかった。」と語っていたそうで、「やはり」と思いました。。アトムは、悪人、怪ロボットをやっつけるより、やられそうになり苦しい顔をする場面をよく覚えています。強敵と戦っていると言う演出だったのでしょう。漫画のように、なぎ倒すのは困難だったので。 再度、テレビニュースの掲載にお礼を申し上げます。 6. Musashi-SAKAI 2018年01月22日 00:52 懐かしい写真をありがとうございます。 わが家にテレビが来たのは1960年2月でしたが、実写版のアトムや鉄人の記憶はあまりありません。ただ、「ぼーくはむてーきだ」で始まるアトムの主題歌はよく覚えています。 昔の少年さん、はじめまして。 「少年」の1960年1、2月号をお探しとのことですが、国会図書館デジタルコレクションに収納されています。画像を見るためには国会図書館に赴く必要がありますが、目次だけならば自宅のPCでも見ることができます。 少年 1960-01 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1845633 少年 1960-02 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1845634 上記URLに飛んで、左下の「詳細レコード表示にする」をクリックして下さい。二月号の目次には「アトムニュース」とあるので、お探しの記事かもしれません。 7. 囃ハルト 2018年01月22日 08:05 昔の少年様 当時の子役さんたちは現在どうされているのでしょうか。 また瀬川さんや山川ワタルさんのように主役を張られた方たちにとって当時はどのような思い出になっているのでしょうね。 昔の少年様には記事のヒントを頂戴し、また掲載に当たってご丁寧なコメントも頂き、本当に有難うございました。 8. 囃ハルト 2018年01月22日 08:08 MUSASHI様 コメント有難うございます。 また国会図書館の貴重な情報も頂戴し、有難うございます。 9. 昔の少年 2018年01月22日 11:20 ハルト様 昔の子役に関しては、ネットやテレビから、内藤 正一さんと、瀬川 雅人さんに関しては、少し、情報があります。 内藤さんは、その後、マスコミ関係の仕事をされ、実写版鉄人28号の自主上映会を開いたりされています。金田正太郎役は、非常に気に行っていたようです。良い子の代表でしたからね。放送が1クールで終わったのは、残念だったでしょう。 瀬川さんは、その後、映画に数本出ておられます。若尾 文子さん 吉永 小百合さんの弟役などをされています。羨ましいです(笑)。 その後、吉田 拓郎のバックで、ギターを弾いたりされていたようです。 最終的に、東京の大岡山か自由が丘の旅行代理店の社長になられたようです。 その当時、テレビの特集で、実写のアトムが紹介された事があり、短いインタビューを受けておられたそうです。 その時に、アトムのコスチュームについて訊かれ、「当時は、あのコスチュームを着るのは非常に恥ずかしかったです。」と回答されたとの事です。とは言え、学校より、撮影が好きだったと、瀬川さんの母君が雑誌で述べていたので、「恥ずかしいが、アトムのコスチュームを気に入ってきて、アトムを演じていた。」ということのようです。瀬川さんには、恥ずかしかったと思いつつ、楽しい思い出になっいるでしょう。 特に、アトム少佐の軍服は、少年に「かっこ良いと大評判です。」と紹介されていた覚えがあります。我々も、軍服は本当にかっこ良いとおもいました。新コスチュームに変更の時は、こちらの方が評判が良いようですというくらいの説明でしたが。 瀬川さんを撮影所まで送り迎えをされていた女性がおられ、彼女も、後年、瀬川さんは撮影が好きだったと語っていたそうです。瀬川さんと余り、年の違わないおねーさんのような方が送り迎えをされていたそうで、送り迎えは、楽しかったようです。 10. 昔の少年 2018年01月22日 11:37 MUSASHI様 初めまして。 貴重な情報を有難うございます。15年くらい前に、国会図書館に行ったときは、少年の60年の2月号はなかったのですが、その後、収集できたようですね。貴重な情報を有難うございます。 恐らく、言われる通り、アトムニュースに、「アトムが火星探検隊長になったので瀬川君は、軍服を着ました。かっこ良いと大評判です。僕らもも一緒に瀬川君を応援しましょう。」と言うような事が書かれている物と思われます。他に、撮影の様子なども書かれていたような気がするのですが、覚えていません。軍服は、よく考えて作られたと思います。漫画の原作とは、随分違います。ズボンをはかないので、丈を短くし、闘牛のマタドールのような軍服です。男物では、こんなに短い丈のジャケットは普通無いですね。ベルトより上の丈にする必要があったからでしょう。飾緒や斜めについたポケットなどこっていると思います。 ちなみに、放送局の系列変更が無ければ、実写版鉄腕アトムは、もう少し継続したと思われます。「アトム友の会」の会員募集がされ、60年3月頃には、アトムの会の開催案内が出ています。唐突に放送打ち切りになったので、瀬川さんも残念だったでしょう。 瀬川さんの年齢を考えると、毎日放送の系列変更が無ければ、あと、2クールくらいは、作成されたのではないかと思われます。放送打ち切り時は、瀬川さんは中一になられていたので、そのくらいまでと言う気がしています。何しろ、ロボットのアトムと違い瀬川さんは、大人になっていくので(笑)。 11. Musashi-SAKAI 2018年01月22日 15:34 昔の少年様 詳しい情報をありがとうございます。 少年アトムは守備範囲外なのですが、60年代のTV番組についていろいろと調べています。ご興味があれば私のHP (MUSASHI's Nostalgic Museum) をご覧ください。「User name : national」 「Pass word : kid」です。 なお、1964年7月26日封切の「地球防衛隊の巻」では「火星探検」とは違うタイプの制服を着ています。ご存知かもしれませんが、上記HP「森永製菓ビックリバッジ/江崎グリコ切手」の「鉄腕アトム・フィルム」をご覧ください。 近く国会図書館に行く用事があるので、時間が取れれば「少年」の記事について調べてみます。 12. 昔の少年 2018年01月22日 16:54 MUSASHI様 ネットで当たってみましたが、記HPへのアクセス方法が判りません。URLを御教示頂けませんでしょうか。 アニメのアトムの制服は、言われる通り、地球防衛隊、アトム将軍と漫画の火星探検とは、随分違った制服になってますね。 火星探検にしても、アニメは漫画と違い、随分モダンな洒落た軍服に変わっていますね。 時代の流れに従い、手塚先生も、制服のデザインを変えたのでしょう。 しかし、漫画 アニメのアトムは、実写と違い質感のある服を着ている訳ではないので、実写のアトムのように、短いジャケットだけでズボン無しと言うのは、あり得なかったのでしょう。 松崎プロダクションは、かわいいのではなく、凛々しく、何となく色っぽい(笑)イメージの独自のアトム像を作り上げた訳ですね。 国会図書館で、60年2月号の少年のアトムニュースと、106ページのテレビニュースの記事を紹介頂けると有難く、宜しくお願い致します。楽しみにしています。 13. Musashi-SAKAI 2018年01月22日 19:57 昔の少年様 理由はわからないのですが、URLを入力しようとすると撥ねられてしまいます。 本投稿の先頭、茶色い文字の「Musashi-SAKAI」をクリックしてみて頂けますか? 14. 昔の少年 2018年01月23日 08:15 MUSASHI様 有難うございます。確認できました。貴HPは力作ですね。 これからじっくり色々読ませて頂きたいと存じます。 やはりアニメのアトムの制服は、漫画の原作の火星探検隊長の制服より、皆モダンでモードのような感じになっていますね。 しかし、私は個人的に、実写のアトム少佐の飾緒のついた、ちょっと恥ずかしい感じのする制服姿が一番好きですね(笑)。 飾緒は、漫画 アニメには、書きにくいので、付けれなかったと思います。 15. 昔の少年 2018年01月24日 20:34 MUSASHI様 貴HRを拝見させて頂いているところです。 ナショナルキッドや、そのロケ地のまとめを拝見し感激しています。 もう、サブカルチャアというより、文化史と言っても良いのではないでしょうか。大作です。 謎の宇宙少年など、当時の小学生が、半ズボンにタイツを穿いていた事を思い出させます。尤も、宇宙少年など、中学性のような気がしますが。 小学校高学年のタイツは少なかったと思いますが、母親の趣味で、お坊ちゃん風にしたかった場合は、高学年でも穿かされている子が居ました。それと、制服で半ズボン強制の小学校は、冬は、皆、タイツでした。当時は、今より、ずっと寒かったですし。 図らずも、実写のアトムの瀬川さんのタイツ姿と比較ができました(笑)。瀬川さんの太ももは普通の少年に比べると、かなり太めで(笑)、力強く見えたと思います。 他も、じっくり楽しませて頂きたいと存じます。ご紹介頂き有難うございます。 16. Musashi-SAKAI 2018年01月24日 20:53 昔の少年 様 国会図書館に行ってきましたが、仰るように1960年2月号はありませんでした。 先日紹介した「少年 1960-02」は1960年の第2号と言う意味で、「正月増刊号」のようです。本号アトムニュースの見出しは、「アトムの本7さつ」「アトムのテレビ」「アトムの人形のかい方」「手塚先生の本6冊」でした。 囃 様 この度はお手数をかけて恐縮です。 国会図書館のリストを見ると、1960年は3号(2月号)だけが欠落しているようです。 売らずに取っておけば良かったかもしれませんね。 17. 囃ハルト 2018年01月25日 11:00 Musashi様 それは残念ですね。私はオークションは購入のみで出品はしない(というか、出品の仕方が分からない)のですが、知人にオークションで売りたいと仰る方がいて差し上げていた中の一冊だったのです。今思うと図書館に寄贈すれば良かったと悔やまれます。 18. 昔の少年 2018年01月25日 16:25 MUSASHI様 早速の国会図書館での調査報告を有難うございます。私が、昔、国会図書館に行った時も、60年2月号はありませんでした。 その後、光文社の図書館にある事は確認できました。 従って、光文社が少年テレビニュースをまとめた小冊子を出版されると良いのですがね。 ハルト様 2月号を手放されたのは残念です。しかし、グラビアをスキャンされていたと言うのは、素晴らしい事でした。お蔭様で、鮮明な写真を楽しませて頂きました。小学生の時に、同級生に見せてもらったのが、ついこの間のようです。彼も、かっこ良いと思ったようで、わざわざ、学校に少年を持ってきて、グラビアのページを開いて、この写真を見ろと見せてくれたものです。当時は、軍服の飾緒と言う言葉は勿論、タイツ、ブーツという言葉も知りませんでした(笑)。 19. 囃ハルト 2018年01月25日 17:00 昔の少年様 私が少年月刊誌を初めて買って貰ったのは、「ぼくら」1960年12月号でした。幼稚園の友達が持っていたので、親にねだって買って貰ったのだと思います。その後「ぼくら」は61年2月号あたりまで買って貰いましたが、小学校に入学すると買って貰えなくなりました。1年生の夏休みに病気になったか何かで、親が不憫に思ったのだと思いますが、初めて月刊「少年」を手にすることが出来ました。1961年8月号でした。まず、その分厚さに感動したのを覚えています。それから鉄人やアトム、矢車剣之助など連載漫画の豊富さに圧倒されました。その後「少年」は1962年1月号を買って貰っただけで、少年時代は2冊しか持っていませんでした。今になって当時を思うと、少年月刊誌の主流はやはり「少年」で、その後を「少年画報」が必死に追いかけているという構図ではなかったでしょうか。 20. 昔の少年 2018年01月25日 22:03 ハルト様 ぼくら、少年画報と懐かしいですね。 私は、小学生の時は、学習雑誌しか買ってもらえませんでした。「楽しい小学--年生」と言うものです。従って、漫画を買ってもらえる友達が羨ましかったですね。漫画は、確か、一回だけ、ぼくらを買ってきてもらいましたが。 少年は、友達に借りるか、友達の家でみせてもらいました。 少年の60年1月号、2月号もそれぞれ別の友達に借りました。2月号は、学校でみせてもらったので、翌月号が出た時に、友達の家に行って先月号(2月号)を借りました。すぐに返せと言われたのが残念でした。当時、デジカメやコピー機などある筈もなく、返したくなかったですね(笑)。 当時は、同級生の女の子とは、余り話をしない時代だったのですが、女の子にもアトム少佐は人気があり、内心、瀬川さんが羨ましかったですね(笑)。だから、余計に記憶に残っています。 21. 囃ハルト 2018年01月26日 08:56 昔の少年様 私も小学校3年生になると漫画は買って貰えなくなりました。その頃、少年雑誌の主流は月刊誌から週刊誌へと変わっていました。当時の同級生の女子たちに人気があったのはテレビ放送されていた「月光」でしたね。主役が2枚目だったこともありますが、隊員に女性がいたからかも知れません。希にエイトマンのライバルのケンが好きだという女子もいましたが(笑)。 22. 昔の少年 2018年01月26日 22:40 ハルト様 少年雑誌が月刊から週刊に変わったのは、言われる通りです。私の場合、調度、その頃、小6くらいだったので、ハルトさんの場合、女の子に人気が有ったのが、月光、エイトマンのライバルと言うのが年齢的に理解できます。 少年雑誌が週刊に変わった時は、漫画の傾向が違うので、残念でした。月刊の少年雑誌は、良い子の代表のような子が活躍する事が多く、子供心に、自分も頑張らねば!と思いました。努力はしてみましたが、アトムのようには、女の子に人気が出ませんでした(笑)。 とは言え、女の子に話しかけられ、驚いた事もありました。 テレビ番組では、少年ジェットやまぼろし探偵も当然好きでしたが、アトムや金田正太郎と比べると、おにいさん過ぎました。 そう言う意味では、アトムが一番、良い子の代表と言う演出になっていたと思います。 何しろ、二番の歌詞は、「僕は良い子だ。」ですからね(笑)。今思えば、ある種の教育番組だったと言って良いかもしれません。 23. 囃ハルト 2018年01月27日 09:37 昔の少年様 時代と共に少年のヒーロー像が変化していくのを見るのは面白いですね。 私が小学6年生の時、ヒーローはウルトラマンでした。ただその頃になると、少年たちの人気の中心はテレビのヒーローからプラモデルに移っていたように思います。私の周りでは金持ちの子供しか手にしていませんでしたが、スロット・レーシングカーが話題の中心でした。 24. 昔の少年 2018年01月28日 00:05 ハルト様 私が、小6の頃のヒーローは、まぼろし探偵でした。再放送をしていたので。そして、中一の時に、実写のアトムの再放送が始まり、驚きました。中一でも、同級生は見ていたようです。余り話題にはしませんでしたが。アニメが始まるまで、ずっと再放送されていました。夏休みなど、午前と午後の二回放送されていました。当時、関西に住んでいたので、実写アトムを製作した毎日放送で放送していたのでしょう。 その頃は、妹も見るようになっていて、付き合いという事で、私も、一緒に見ていました。妹は、「男の子がタイツ!? ヘルメットの横顔が変!?」と言いつつ、やはり、アトム少佐がお気に入りでした。その後、漫画のスーパージェッターが人気となりました。 友達とは、余り、ヒーローの話はせず、女の子に興味が移っていきました(笑)。 その後、実写としては、ヒロインのポワトリンが良かったですね。ポワトリンがフランス語で胸を意味するのを知ったのは、ずっと後です。 25. 囃ハルト 2018年01月28日 13:16 昔の少年様 さすがに6年生ともなるとヒーローでは盛り上がりませんよね(笑)。 私の場合、スロット・レーシングカーは模型屋のショウウインドウで見て楽しむだけのものだったので、興味は音楽の方に行きました。徐々に人気が出始めていたスパイダースのファンになり、彼らが中尾ミエと一緒にレギュラーを務めていた歌番組を毎週観ていました。 26. 昔の少年 2018年01月29日 02:58 ハルト様 御覧になられていた歌番組は、ビクター歌うバラエティでしょうか。 私事で、恐縮ですが、中尾ミエさんは、福岡学芸大学附属小倉小学校を出られています。ここの中学に私は、一学期だけ通ったのですが、当時、テレビに出始めた中尾 ミエさんが、小学校の出身と同級生から聞きました。 私も、すぐに、関西に引っ越す前の話です。関西に引っ越したら、すぐに実写のアトムの再放送が始まり、中学生にも関わらず、夢かと思ったものです(笑)。 尤も、瀬川さんも、中一の初めまで、アトムを演じていた訳ですが、ファンは小学生、幼稚園児がメインだったと思います。 歌番組は、シャボン玉ホリデーや、ホイホイミュージックスクールを覚えています。 木の実ナナさんの日本人離れしたスタイルの良さに驚きました。 これも私事で恐縮ですが、私はボーイソプラノだったので、小学生の時は、合唱部にも所属しウィーン少年合唱団に憧れました(笑)。声変わりしたら、さっぱりでした。 27. 囃ハルト 2018年01月29日 13:26 昔の少年様 ホイホイミュージックスクール、懐かしいですね! ドリフターズを最初に見たのがその番組です。 最初いかりや長介もいかりや長一、加藤茶は加藤英文(?)みたいな名前だったと記憶しています(笑)。 28. 昔の少年 2018年01月29日 21:09 ハルト様 ドリフターズのリーダーを選ぶ時に、最初は、荒井 注が良いとメンバーの総意で決まりそうになったのが、荒井 注さんが立ちあがったら、背が低いのが判って、ダメになったと言う本当かどうか判らない話を聞いた事があります。 注さんは、座高は高かったようです(笑)。 歌が多く入った「夢で逢いましょう。」も見ていました。寅さんでブレークする前の渥美 清さんが出ていました。 ブルーコメッツの「森 とんかつ 泉 ニンニク カー こんにゃく」は、覚えておられますか? 29. 囃ハルト 2018年01月30日 08:58 昔の少年様 ブルーコメッツの「森 とんかつ・・・・」は、私の周りでは聞かなかったのですが、数年経って過去を振り返るバラエティ番組か何かで聴きました。妻も知っていたので有名だったのですね。発祥は「夢で逢いましょう」なのでしょうか?作ったのは渥美さんですか? 30. 昔の少年 2018年01月31日 01:37 ハルト様 「森 とんかつ」は、当時放送されていた人気番組「チャコねえちゃん」のチャコちゃん役で主演していた人気子役の四方晴美さんが、ある日の番組撮影現場で出されたお弁当にとんかつが入っていたのを喜び、「わーい、きょうはトンカツだ! ♪森トンカツ、、、」と歌った事がルーツのようです。四方さんは、これも当時の人気番組であった「ちびっこのど自慢」に出演してこの替え歌を歌い、それで一気に広まったようです。 替え歌と言えば、私は、自作で、実写版鉄腕アトムの主題歌の歌詞を次のように変えて妹に披露していました。勿論、ヒットしませんでしたが(笑)。 僕は、素敵だ。アトム少佐。 火星探検 隊長だ。 軍服を着て、敬礼だ。 さあ来い、悪者、やって来い。 31. 囃ハルト 2018年01月31日 09:00 昔の少年様 なるほど。「チャコねえちゃん」は観ていなかったので、当時は知らなかったことが分かりました。 楽しい〝替え歌〟ありがとうございます。 32. 昔の少年 2018年04月03日 23:49 ハルト様 ネットの記載によると、実写のアトムを演じた瀬川 雅人氏の御子息が俳優の瀬川 亮氏だと紹介されていたものが有りました。 他に、それに関する記載は無いので、本当かどうかは不明ですが、年齢的には、雅人氏が30歳くらいの時に、亮氏が生まれた事になり、おかしくはありません。 亮氏は、すこし、雅人氏に似ている気もします。 本当なら、親子揃って、特撮ヒーローの主役を演じた事になり、新発見です。 また、雅人氏は、立派な御子息を持った事になります。 亮氏のブログでは、一度だけ、御尊父様について述べていて、2011年には、健在だった事がわかりました。 当時、62歳くらいだったと思われます。 何でも、餅入りぜんざいに凝っていて、そのせいか、最近(2011年)、太ったと書かれています。まさか!?と思いつつ、本当かもしれないと思ったりしています。 33. 囃ハルト 2018年04月04日 12:57 昔の少年様 コメント有難うございます。 瀬川亮さんの存在は、昔の少年様のコメントで初めて知りました。 少しだけブログを拝見したら兵庫県で舞台をされていらっしゃったようですね。 アトムのご子息だったら楽しいでしょうね。 34. 昔の少年 2018年04月04日 20:20 ハルト様 瀬川 亮さんは、出生地は、横浜だそうなので、当時、自由ヶ丘で、雅人さんが旅行代理店を経営されていたとして、居住地が横浜だったと言う可能性はありえると思います。 本当に、雅人さんの御子息が瀬川 亮さんなら、親子揃って、特撮ヒーローになった訳で、楽しいですね。 ちなみに、超星神グランセイザーも、約1年放送されていて、実写アトムより、少し短いですが、放送期間も似たようなものですね。 亮さんは、余り、御尊父様のキャリアについては、触れたくないようなので、真相が判るかどうかは不明です。 35. 囃ハルト 2018年04月05日 08:51 昔の少年様 僅かですが瀬川さんのブログを拝見していると、本格的な俳優を目指されていることが伺えます。ご自身が特撮ヒーローだったイメージを払拭されたいのかも知れません。だとするとお父さまのキャリアに触れたくないということは、可能性ありですね。 36. 昔の少年 2018年04月07日 22:04 ハルト様 ネットサーフィンをしていたら、以下のスレッドを発見したのです。 昭和30年代・中年おじさんの懐かしいテレビ https://bubble2.5ch.net/test/read.cgi/natsutv/1066902910/ そこに、以下の記載があったのです。 313 :名無しだョ!全員集合:04/01/12 15:00 ID:Kgmsew+r 亜斗武の実写ドラマの主役の実子がドラマ「グランセイバー」主役 亜斗武と書かれていますが、アトムの事で間違いないと思います。 そこで、今度はネットで、グランセイバーの配役を確認したら、一番上に、瀬川 亮さんの名前を発見したものです。 瀬川亮さんの出身地、年齢から、瀬川 雅人さんの御子息でもおかしくないのが確認で来ました。スレッドの自身のある書きっぷりから、本当に、亮さんは、雅人さんの御子息であろうと推察しています。 とすれば、親子そろって、1年前後、特撮ヒーローを演じた事になります。 亮さんは、「俺は、グランセイバーのコスチュームの方が、好きだ。親父のアトム少佐の軍服もかっこ良いが、タイツが俺には恥ずかしい。」といったかもしれません(笑)。 ひょっとして、亮さんは、子供の頃に、父君から、アトムのコスチュームを借りて着てみたりしたかもしれませんね。と言うか、着てみろと言われたりしていて(笑)。 このスレッドは古く、もう閉じられているので、質問ができないのが残念です。 亮さんは、本格的な俳優を目指しておられるのと、グランセイバーの主役に選ばれたのを、親の七光りと言われるのが嫌なのかもしれません。 また、父君が、アトムを演じた事を余り言いたくないのかもしれません。良い子の代表で、人気があったんですけどね。後年、当時、演じていてコスチュームが恥ずかしかったとインタビューに答えておられたそうなので。と言う訳で、新発見をした気がしています。 37. 囃ハルト 2018年04月08日 14:45 昔の少年様 時代によって価値観が変わりますものね。1950年代~60年代のアトムは正義の象徴で、今もアニメの方は日本のシンボルですが、実写版の方はお笑いの対象にされている感があります。世代間のギャップがあって当然ですよね。 38. 昔の少年 2018年04月08日 23:53 ハルト様 1950年台は、実写が全盛でしたね。特に、少年ヒーローはあの時代特有だった気がします。私も、アトムの他に、少年ジェット、まぼろし探偵などを夢中になってみました。アトムと金田正太郎は、小学校高学年で、他はお兄さんヒーローだったと思います。 最近、アトムの実写版も、DVDのレビューを見ていると、「当時としては、素晴らしかった」とかかるているものもあり、再評価されているように思われます。 と言っても、評価しているのは、私のような当時の少年が大半な気がしますが(笑)。 その後、アメリカのCGのアトムは、普段からズボンもシャツも着ていますし、今、手塚プロの協力のもとに、制作されつつある実写のアトムは、アイアンマンのような感じになると書かれています。アイアンマン的だと、実写アトムの最初のコスチュームに近い感じに思えますが。 しかし、アトムには金髪碧眼には、なって欲しくないですね。 アトムは、CGも実写も造形には苦労するキャラクターだと思います。完全にアンドロイドという感じでもありませんし、かと言って、普通のロボットと言う感じでもありません。 手塚先生は、よく、ああ言うキャラクターを考え出したと思います。 一方、松崎プロもあの時代に、よく、アトムにチャレンジしたと思います。 39. 囃ハルト 2018年04月09日 14:26 昔の少年様 仰る通りCGや実写は大変でしょうね。アニメならではのキャラクターですね。また観る方もアニメに慣れてますからね。それにしても五十年代はチャレンジ精神旺盛の時代だったのでしょうね。まだまだ戦後の復興が残されていたのでしょう。大人が凄く元気に見えて、早く大人になりたかったですから(笑)。 40. 昔の少年 2018年06月23日 03:32 ハルト様 御無沙汰しています。 私は、たまに、英会話喫茶に行くのですが、合間にメールをする必要があり、パソコンも持って行き、会話中に時々、メールを確認したりしてます。 本日、たまたま、20代前半の、いけめんの男性のバレーダンサーが参加されました。 調度良い機会だったので、彼に、ハルト様のこのブログの「火星探検隊長として敬礼するアトム少佐」の写真を見せて、「実写のアトム少佐のコスチュームは、バレーの王子様のコスチュームのイメージを参考にしているように思うがどうか?」と、訊いてみました。 彼は、当然、実写版の瀬川アトムなど知る筈もなく、写真をしげしげと見て、「ズボンを穿かず、タイツ姿だし、確かにそう言う感じがする。50年以上も前の作品ですか?」と、驚いておられました。 実際のバレーダンサーも、私と同様のイメージを持たれる事が確認できました(笑)。 当時、松崎プロダクションは、どう言うコスチュームにするのか、苦労した事が、想像されます。 ちなみに、アメリカ人の先生は、CGのアトムまでは知っているそうですが、彼も、実写のアトムには、驚いておられました。 御参考まで。 41. 囃ハルト 2018年06月23日 11:10 昔の少年様 ご無沙汰しています。 アトムのコスチュームはバレーダンサーの方には斬新に映ったのでしょうか(笑)。 アメリカ人の先生は知らないでしょうが、実写版アトムと同じ時期に「スーパーマン」が放送されていました。同じように漫画を実写にしたヒーローで、どちらもタイツ姿でした(笑)。 42. 昔の少年 2018年06月23日 15:31 ハルト様 バレーダンサーは、クラッシックバレーだそうなので、彼もタイツ姿で踊っているのでしょう。 「女性を持ち上げるのは難しいか?」と訊いたら、その時に、「女性は、持ち上げられる瞬間に、体を硬直させるので、持ち上げやすいと聞いている」との事でした。 また、プリンシパルにはなられていないので、御自分が女性を持ち上げる演技はされた事が無いそうです。 実写版アトムのコスチュームは、バレーダンサーには、斬新に映ったようです。恐らく、バレーの王子様に近いという事で、かっこいいと思われたような感じに見えました。 とは言え、「演じた瀬川さんは、タイツ姿は恥ずかしかったらしい。」と言ったら、うなずいていました。彼も、恥ずかしいのかも(笑)? アメリカ人の先生は、映画のスーパーマンは、御存じでしょうが、ジョージリーブズ氏の演じるテレビ版スーパーマンは、御存じないでしょう。彼が生まれる前の作品なので。 とは言え、アメリカ人には、スーパーマンを演じた俳優に起きた悲劇の伝説を御存じな方は多いようです。 なお、話が脱線しますが、喫茶の場所がらか、バレーダンサーの隣に座られた方は、いけめん俳優で、今週まで放送されていたMiss Devilとか、半沢直樹にも、出演されていました。眼鏡と帽子で、ちょっと見には、判りません。サインを頂きました(笑)。 また、いけめん俳優の反対隣りには、ニューヨークに住んでいたミュージカル女優が座っておられました。今度、オーディションの審査員をされるそうです。 何と言う世界だろうかと思った次第です。 43. 囃ハルト 2018年06月23日 16:53 昔の少年様 なんと豪華な英会話喫茶ですね! 貴重なご報告、有難うございました。 44. 昔の少年 2018年06月23日 21:36 ハルト様 話が脱線し過ぎで申し訳ないのですが、別のブランチに2週間くらい前に、行ったら、そこは場所柄か、お役人が多いようで、外務省と建設省の方が来られました。 英会話のフリートーキングに参加すると思いかげない事が色々あります。 10年くらい前は、日本で初の女性プロゴルファーが来られました。 何でも、某財閥の令嬢だったらしく、昔、アメリカに、ゴルフクラブを買いに行かれたと伺いました。 他には、ニューヨークのワールドトレードセンターの跡地のコンペに参加し、ベストテンに入られたと言う建築家に、先日、お会いしました。 勿論、懐かしのテレビのヒーローの話をして、通じる方は、殆ど、おられません。 今回は、若い方ですが、バレーダンサーだったので、実写アトムのコスチュームに対する感想を伺う事が出来ました。普通は、いきなり、ああいう見慣れないコスチュームの写真を見ると、驚いて頭がついて来ず、絶句と言う方が多いです。 流石、バレーダンサーと思いました。一般に、バレーの王子さまの上着は丈が非常に短いです。従って、アトム少佐のジャケット、タイツに全く抵抗が無かったようです。 45. 囃ハルト 2018年06月24日 08:52 昔の少年様 いろんな場で懐かしのテレビヒーローの話をされていらっしゃるのですね。 これからも古き良き昭和の語り部としてご活躍下さい。 46. 昔の少年 2018年06月24日 15:29 ハルト様 コメント有難うございます。 残念ながら、いろんな場では話はしておりません。ハルト様と、先のバレーダンサーくらいです。話が通じる事は非常に少ないので(笑)。 今回は、たまたま、バレーダンサーがおられたので、実写アトムについてバレーダンサーに訊いてみたかった事を思い切って? 訊いてみたものです。 真剣にコメント頂けたのは、予想外?でした。アトム少佐のコスチュームに違和感は全く、少年ヒーローとして似合っていると思われたような感じから、やはり、バレーダンサーは、他の方と住む世界が違うような気がしました(笑)。彼のカジュアルな服装も、色合いが普通の方とは違いましたね。 47. 昔の少年 2019年11月17日 00:11 ご無沙汰しています。 中古のDVDが格安で購入できました。火星探検と気体人間の巻です。 なんと、解説書に、雑誌「少年」のS35年2月号の少年新聞に載った火星探検の巻の撮影エピソードが紹介されていました。ざっと、以下の通りです。敬礼するアトム少佐の写真が載った号の説明です。 ---- *テレビの鉄腕アトムでは、いま第四話「火星探検の巻」を放送しています。 このお話では、アトムは火星探検隊長になって火星に行きます。 舞台が舞台だけに撮影が大変。 いままでにない大がかりな特殊撮影がなされました。 ここに載せた二枚の写真(新型ロケットX基地と宇宙人の宇宙艇)は、東京・渋谷の渋谷スタジオでおこなわれた、火星のシーンの撮影のもよう。 苦心のミニチュアがならん゛ていますね。 この巻の撮影では、アトム役の瀬川くんは、立川にある米軍のジョンソン基地へも行きました。 ところが、「鉄腕アトム」のテレビは、アメリカ人の少年の間でも、大人気。 瀬川くんは、アトムのメンコを手にしたアメリカの少年たちにとりかこまれてサインぜめにあい、うれしい悲鳴を上げる始末でした。 テレビのアトムもこの二月七日で、まる一年続いたことになりますが、瀬川アトム少年も、すっかりなれて、大張り切り。 第三話の時には、自動車の運転まで、覚えてしまい、いまの第四話では、りっぱにルノーを運転して登場し、みごとなアトムぶりをみせています。 「少年」のアトム同様、テレビのアトムくんもかわいがってください。 48. 昔の少年 2019年11月17日 00:13 先に続きます。 という訳で、まぼろしのアトムの記事がやっと確認できました。 火星探検隊長のコスチュームを着用し、張りきっている瀬川くんが、敬礼するアトム少佐の写真を雑誌「少年」に、撮ってもらったのが、囃ハルトさんに、紹介頂いた「少年」に載った写真だと言う事が理解できました。 当時、そんなイメージで、この写真を見ていた事を思い出しました。懐かしいです。 米軍人の子供なら、他の子より、飾緒のついた軍服のカッコよさをより理解するでしょう。 タイツ、ブーツは、スーパーマンようにヒーローの定番でしたし。 ヒーローアイテムの集大成のようなアトム少佐だったと思います。 49. 囃ハルト 2019年11月17日 19:40 昔の少年様 コメント有難うございます。 実写版アトムがアメリカの少年たちに人気があったとは初めて知りました。 手塚先生が日本のディズニーを目指していたということもあって、「アトム」というとアニメが定番になっていますが、実写版は今でいう3Dなので、その分迫力がありましたね。 またアトムが完全無欠なヒーローではなかったので、ハラハラ感がありました。 子供にとっては、実写版であるがゆえに少年アトムにリアルな共感を覚えたのかもしれません。 50. 昔の少年 2019年11月17日 22:18 囃ハルト様 以前、S35年2月号の記事が読めないか?という話がありましたが、図らずも、DVDの解説書で確認できました。 米軍基地で、子供にメンコのサイン攻めとは凄いですね。まさに、アイドルのはしりだと思います。 また、解説書には、向ヶ丘遊園で開催された「アトムの会」の写真も紹介されていました。 昔のDVDの解説書より、情報が増えたように思われます。画像は、よりクリアになった気がします。 実写のアトムは、特に、ホディスーツ風のタイトな後期コスチュームになってからは、余り、強くなく、敵のロボットと戦っても、やっと勝つと言う感じでした。言われるとおり、子供達をハラハラさせる効果があったと思います。 火星探検の巻では、光線銃で撃たれて、力が出なくなってからの隊員との格闘でハラハラさせていました。また、胸が開くコスチュームになったので、胸を開けられてメカを抜き取られて、悶絶して壊れると言う有名なシーンを演出できていました。 ハラハラすると思わず、アトムと言うか、アトムを演じる瀬川少年を応援したくなる感じです。 今回、改めて、DVDを観ると、火星探検の巻では、軍服を着用し、部下の隊員を統率したので、より、使命感が感じられる演出となっていました。何しろ、隊員は、大人ですからね(笑)。 やはり、実写版は等身大で、当時の子供は、自分がアトムを演じているような気持で観る事で、共感を覚えた気がします。 漫画、アニメの方は、異次元の世界と言う感じで、自分がアトムになったようなイメージでは、観れなかった気がします。勿論、どちらも、非常に面白かっだすが。 51. 囃ハルト 2019年11月18日 12:53 貴重なご報告有難うございます。 近年になって情報の精度が高くなるにつれ、当時の状況が詳細に入手できるようになったことは喜ばしいことです。 アニメになってからは弟が毎週見ていたので、私も見ていたはずなのですが、ほとんど記憶に残っていません。私にとってはアニメはエイトマンです(笑)。 やはり鉄腕アトムはアニメよりも実写版の方が印象深いですね。 52. 昔の少年 2019年11月18日 16:13 エイトマン アニメのアトムも観ました。しかし、アニメのアトムも、私が覚えているのは、火星探検なのです(笑)。アニメのアトム少佐を観ながら、実写のアトム少佐がかっこ良いと思いました(笑)。やはり、リアルさが違いました。 なお、新DVDの解説書によると、気体人間の巻は、第一話が紛失しているのが残念ですが、二話からのオーブニングの配役に、鉄腕アトム・飛男:瀬川 雅人となっているので、第一話に、飛男の回想シーンとして、素顔の瀬川雅人さんが演じる飛男が登場したのだろうと説明されています。 ZZZ団の巻の時に、ジャケットと長ズボンを着て、頭にはターバンを巻いて変装するアトムが登場しますが、恐らく、その時のイメージで、ターバンを取り、半ズボンをはいたような感じの飛男が登場したものと思われます。 第一話が紛失しているのが残念ですね。 気体人間オープニングの空を飛ぶシーンは、ヘリコプターから、身を乗り出しての撮影だったそうで、怖い撮影ですね(笑)。 また、火星探検から気体人間の巻は、実写の鉄人28号と、同時に、撮影が進められた事が紹介されていて、スタジオも、同じだったそうです。 そのため、向ケ丘遊園のアトム大会では、ステージ上に、実写の鉄人も凍傷したと説明されています。 瀬川 雅人さんと、内藤 正一さんが、会った事は、容易に想像できます。内藤少年が、アトム少佐のコスチュームを着たがったという噂も、本当のような気がします。 53. 囃ハルト 2019年11月18日 18:02 アトムとは逆に鉄人28号はアニメですね。実写版の記憶は殆どありません。 鉄人のアニメが始まった頃、シールやワッペンが流行っていました。アトムシールはマーブルチョコレートに入っていて、鉄人ワッペンはグリコのオマケでした。あとエイトマンシールは丸美屋のふりかけに入っていました。ハリス無段のシールはハリスのフーセンガムに入っていて、今でいうタイアップですね。他、アトムと鉄人は光文社のカッパコミックスにもシールがついていましたね。 54. 昔の少年 2019年11月18日 22:59 実写版の鉄人28号は、1クールで終わりになったので、記憶が無い人も多いようですね。 しかも、鉄人の作りの関係で、他のロボットとの戦いは、押し合うような感じで、格闘と言う感じには出来なかったので。 しかも、金田 正太郎が鉄人を操縦するところにまで、至らないまま、終わりました。 その点、実写アトムは、あまり強くせず、必死の格闘が売りだったので、よく覚えられたのだろうと思います。 アトムのアニメのシールは、当時、大人気でした。明治製菓のマーブルチョコは、相当に売れたと聞こえました。 メンコの方は、DVDの解説書によると、松崎プロが第二巻と第三巻をメンコにするのを承認したそうで、今でも、ネットで取引されていますね。 火星探検の巻のメンコが無い理由がそれで判りました。 第四巻も、メンコになれば、随分売れたと思うのですが、残念です(笑)。 55. 囃ハルト 2019年11月19日 15:52 なるほど実写版の鉄人は1クールで終わりだったのですね。 おそらく再放送もされなかったのではないでしょうか。 実写版のアトムは何度も再放送されていたように思います。土曜日の午後あたりにやっていたような記憶が。カニ男や火星探検が記憶にあります。 実写版アトムのメンコはオークションで6枚ほど入手しました。 確認しましたが、おっしゃる通り、火星探検のものは無いですね。残念ですね。 56. 昔の少年 2019年11月19日 20:07 実写鉄人の再放送は、観た事がありません。 実写アトムの再放送は、本放送が終わった3年後くらいから、関西では、夕方の月曜から金曜まで、ずっと放送されていました。大阪の毎日放送が制作したからというのもあると思います。 夏休みなど、午前と午後の二回放送されていました。 同級生は、中学生になっていましたが、それでも実写アトムを観ていた方が何人もいましたね。 アニメのアトムが放送開始になって、暫くして、実写アトムの再放送が終わりました。 当時、近くの小学生が、公園でアニメのアトムの話をし、それに対して、幼稚園の子が、「人間のアトムもあるよ。」と言っていたのを覚えています。 我が家でも、妹が再放送をよくていました。瀬川くんのタイツ姿は、スーパーマンのようで、かっこよいと思っていたようです。 メンコは、ナショナルキッドなどもあるので、実写アトムが終わってからも、何年かは、販売されていたと思います。 一番人気があったと思われる火星探検の巻のメンコが発売されなかったのは、何故なんでしょうね。軍服を着用したアトム少佐以外にも、レンコーンのロボットなどもなかなかよく出来ていたと思います。 また、ロケットに潜りこんだキャーペットと言う女性が可愛かったです。笑顔が特に、良かったです。アトムより、年上ですが、何となく、アトム少佐に思いを寄せているという設定が懐かしいです。 57. 昔の少年 2020年01月25日 17:10 昔、実写アトムをご覧になられた札幌の病院長殿の想い出が下記に載っていました。 やはり、アニメより、実写アトムの方が思い入れのある方がおられるようです。 https://houyukai-sapporo.com/2019/06/24/%e7%ac%ac387%e5%9b%9e%e3%80%80%e5%bf%99%e9%85%94%e6%95%ac%e8%aa%9e%e3%80%80%e6%80%9d%e3%81%84%e5%87%ba%e3%81%b6%e3%82%89%e3%81%b6%e3%82%89/ また、ハルトさんのこのブログの敬礼するアトム少佐写真を紹介されてご覧になられたご婦人が、ご自身のブログで下記のように感想を述べておられました。 彼女は、アトム少佐は、かっこよいと絶賛しています。軍服のタイツとのコンビネーションも含めての感想で、貴重です。 -------- 鉄腕アトムに実写版があるとは知りませんでした。火星探検隊長のアトム少佐という名前だったんですね。情報ありがとうございます。 小6の少年、かっこいいですよー! 女子に人気だったそうで、大人になってもきっとモテモテだったんでしょうね(^^♪ ------------ また、まんだらけでDVDの通販をしていて、下記に説明が有ります。 ハルトさんのブログに載った写真で、実写アトムの軍服姿は、有名になったように思われます(笑)。皆様の感想によると、今、観ても、かっこいいと言われています。 前期のプロテクターのコスチュームのアトムしか紹介されなかった頃と比べると、当時の人気が正しく理解されてきているように思われます。 https://www.mandarake.co.jp/dir/spr/ufo/2019/01/12/ufodvd-dvd-box-2016.html 5部構成で、どの部にも妙齢の美婦人が登場! キャラクターや小物にファッションが当時の最先端を取り入れて、そこが現代から見るとモダンでなんともお洒落。 そして外ロケ時には、舗装されきってない路面に建物、当時の日本が垣間見れるという歴史的資料面でも貴重な作品です。 火星探検隊では隊長を務めたアトムが軍服を着ていて、そこがまたかっこいいんです。 58. 昔の少年 2020年01月25日 21:21 >追加です。 先に、書きましたように、ハルトさんに載せて頂いた雑誌「少年」に掲載された写真のお蔭で、実写版鉄腕アトムの火星探検隊長の軍服姿が、今になって、知れるようになった気がします。 「少年」に載せるべく撮られた写真なので、DVDにも同じ写真はありません。 実写アトムのファンだった私としては、実写アトムが正しく知られるようになって来た事で、ハルトさんに大変感謝しております。有難うございます。 瀬川 雅人さんが、ネットで実写アトム関連の情報にアクセスしておられるのなら、「かっこよい」と言うコメントを知り、驚いておられるのではないでしょうか?(笑) 59. 囃ハルト 2020年02月08日 17:44 昔の少年様 沢山のコメントと、感謝の御言葉まで頂戴し、恐縮しております。 有難うございます。 また面白い写真に遭遇できれば記事にしたいと思います。 宜しくお願い致します。 60. 昔の少年 2020年03月28日 00:32 ハルト様 YOU TUBEで、「アニメVS実写」 と言う動画を見つけました。 https://www.youtube.com/watch?v=zYszWVmEONU これに、実写の鉄人28号と、鉄腕アトムも入っていました。 鉄腕アトムでは、これまで、YOU TUBE等に載った事の無いアトムが走ってくるシーンが載っており、貴重です。オープニングは、空を飛ぶシーンが殆どなので。 是非、ご覧下さい。 テレビで紹介されたものだと思います。受けをねらって、実写アトムをかなりこき下ろしていますが。 また、アトムが友達と並んで歩いてくるシーンでは、瀬川少年の脚の長さと、ふっくら具合がわかります。英語では、瀬川少年のようなふっくらしている子を表す言葉に、chubbyと言う言葉があるそうです。 61. 囃ハルト 2020年03月29日 09:10 昔の少年様 Youtube拝見しました。 1991年のテレビ番組ですね。実写版をネタにして、当時を懐かしむのではなく、50~60年代の子供文化を馬鹿にする番組が一時流行っていたようですね。1990年代はテレビを見る時間が殆どなかったので、こういった映像は、後にYoutubeを通じて知りました。 ところがその後、人気漫画をアニメではなく実写で映画化するのが流行りました。代表的なのは「20世紀少年」です。今の世界情勢をみて、この作品を思い出した方は大勢いらっしゃると思います。 62. 昔の少年 2020年03月30日 00:43 ハルト様 1991年なので、ZZZ総統の巻のビデオだけが発売された後に、放送されたようです。 この放送のコメントを聞くと、アトムを演じた瀬川さんが、後年、インタビューを余り受けたくなかったらしいのも、判る気がします。 DVDで、全部の巻が見れるようになる18年も前の放送と言う事になります。 それで、やっと、実写アトムも復権したような気がします。 それでも、実写アトムの放送時の人気ぶりは、なかなか判りません。 ハルトさんの少年ニュースの火星探検隊長の写真は、当時の状況を伝える貴重な資料だと、改めて思いました。わざわざ、雑誌社が取材し、写真を掲載した事が判るので。 瀬川さんも、インタビューに応じて欲しいですね。当時の撮影のエピソードなど、ご本人が言われれば、特撮黎明期の貴重な証言になると思います。 なお、「20世紀少年」は、知りませんでした。 コメントフォーム 名前 コメント 評価する リセット リセット 顔 星 投稿する 情報を記憶
コメント
コメント一覧 (62)
素晴らしい少年のテレビニュースを早速掲載頂き、ただひたすら感謝です。有難うございます。かように鮮明な写真は、見たことがありません。アトムや金田正太郎を懸命に応援した事を思い出します。
雑誌少年をお持ちなようなので、追加で以下をお願いできませんでしょうか。
1. 60年1月号の写真。確か、アトムが手塚先生と並んで映っていました。
2. 60年2月号は、その写真のコラムの中に書かれているように、108ページかどこかに、アトムの説明があったと思うのですが。確か、この写真等の説明もあり、「軍服を着て大評判です。僕らも瀬川君を応援しましょう。」と言うような事が書かれていたと思うのですが。この記事も掲載頂けませんでしょうか。昔が、より思い出せます。
早々のコメント有難うございます。
掲載致しました記事のうち1959年7月号及び8月号は所持しておりますが、60年2月号、3月号およびコメントに記されている1月号は残念ながら所持しておりません。2,3月号はオークションで落札した後、グラビア写真が珍しかったのでスキャナー保存し、その後またオークションに出品してしまったのです。ご期待に沿うことが出来ず、申し訳ございません。
了解いたしました。60年2、3月号をまた、オークションに出されたのは、残念です。
しかし、グラビア写真をスキャナー保存頂いたので、鮮明な写真を拝見できて感激しています。有難うございます。光文社に、テレビニュースの冊子を作成して欲しいものです。
光文社の図書館に、少年の蔵書があるようなので。
グラビア写真は、青っぽい色がついていたのがよく判ります。
また、60年2月号のアトムと金田正太郎の写真は、テレビのフイルムからのピックアップではなく、雑誌少年のカメラマンが撮って編集したものと思われます。アトムのDVDを見ても、このようなシーンはありませんでした。
原作の漫画のアトム少佐の軍服とは、随分違うので、当時驚きましたが、衣装係が、新コスチュームに合わせて考え出したのでしょう。それにしても、当時の子供としては、瀬川君の脚は異様に?長いですね。大人の隊員と脚の長さはほぼ同じに見えます。
私は、彼がアトム役に選ばれたのは、ふっくらしいている以上に、脚が長かったからと見ています。アトムは基本、パンツとブーツですから。
なるほど。意識して見れば、確かに実写版アトムは脚が長いですね。それに比べると実写版鉄人28号の脚は貧弱です(笑)。
当時の子役に対する私の同級生達の評価を少年の60年2月号のグラビアで説明できると思います。
内藤正一さんは、如何にもお坊ちゃんと言う感じのかっこ良い少年として選ばれた。今でいうイケメン? 女の子にも、人気があったでしょう。
海底人8823の少年は、極普通の子。従って、余り子供が話題にはしなかった。演技がうまかったのか?
実写版鉄腕アトムの瀬川さんは、アトムの体形にふさわしい子が選ばれた。
どんなコスチュームを着せるにしても、ボディコンは必須なので。
小6で、頭分一つ背が高い大人と同じ脚の長さですからね。また、太もももふっくらしているタイツが貧相で無い子供を選んだ。当時の日本に、こんな脚の長い子がよくいたものです。アトムは時々、クラスメートと一緒に歩いたりしていましたが、瀬川君の脚の長さと、太ももの太さ(笑)をよく覚えています。この写真にもあるように、タイツによくしわが寄っていたのも有名です。コスプレでの愛嬌と言う感じです。(笑)
ネットの記事によると瀬川さんが後日談で、「当時は、恥ずかしかった。」と語っていたそうで、「やはり」と思いました。。アトムは、悪人、怪ロボットをやっつけるより、やられそうになり苦しい顔をする場面をよく覚えています。強敵と戦っていると言う演出だったのでしょう。漫画のように、なぎ倒すのは困難だったので。
再度、テレビニュースの掲載にお礼を申し上げます。
わが家にテレビが来たのは1960年2月でしたが、実写版のアトムや鉄人の記憶はあまりありません。ただ、「ぼーくはむてーきだ」で始まるアトムの主題歌はよく覚えています。
昔の少年さん、はじめまして。
「少年」の1960年1、2月号をお探しとのことですが、国会図書館デジタルコレクションに収納されています。画像を見るためには国会図書館に赴く必要がありますが、目次だけならば自宅のPCでも見ることができます。
少年 1960-01 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1845633
少年 1960-02 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1845634
上記URLに飛んで、左下の「詳細レコード表示にする」をクリックして下さい。二月号の目次には「アトムニュース」とあるので、お探しの記事かもしれません。
当時の子役さんたちは現在どうされているのでしょうか。
また瀬川さんや山川ワタルさんのように主役を張られた方たちにとって当時はどのような思い出になっているのでしょうね。
昔の少年様には記事のヒントを頂戴し、また掲載に当たってご丁寧なコメントも頂き、本当に有難うございました。
コメント有難うございます。
また国会図書館の貴重な情報も頂戴し、有難うございます。
昔の子役に関しては、ネットやテレビから、内藤 正一さんと、瀬川 雅人さんに関しては、少し、情報があります。
内藤さんは、その後、マスコミ関係の仕事をされ、実写版鉄人28号の自主上映会を開いたりされています。金田正太郎役は、非常に気に行っていたようです。良い子の代表でしたからね。放送が1クールで終わったのは、残念だったでしょう。
瀬川さんは、その後、映画に数本出ておられます。若尾 文子さん 吉永 小百合さんの弟役などをされています。羨ましいです(笑)。
その後、吉田 拓郎のバックで、ギターを弾いたりされていたようです。
最終的に、東京の大岡山か自由が丘の旅行代理店の社長になられたようです。
その当時、テレビの特集で、実写のアトムが紹介された事があり、短いインタビューを受けておられたそうです。
その時に、アトムのコスチュームについて訊かれ、「当時は、あのコスチュームを着るのは非常に恥ずかしかったです。」と回答されたとの事です。とは言え、学校より、撮影が好きだったと、瀬川さんの母君が雑誌で述べていたので、「恥ずかしいが、アトムのコスチュームを気に入ってきて、アトムを演じていた。」ということのようです。瀬川さんには、恥ずかしかったと思いつつ、楽しい思い出になっいるでしょう。
特に、アトム少佐の軍服は、少年に「かっこ良いと大評判です。」と紹介されていた覚えがあります。我々も、軍服は本当にかっこ良いとおもいました。新コスチュームに変更の時は、こちらの方が評判が良いようですというくらいの説明でしたが。
瀬川さんを撮影所まで送り迎えをされていた女性がおられ、彼女も、後年、瀬川さんは撮影が好きだったと語っていたそうです。瀬川さんと余り、年の違わないおねーさんのような方が送り迎えをされていたそうで、送り迎えは、楽しかったようです。
初めまして。
貴重な情報を有難うございます。15年くらい前に、国会図書館に行ったときは、少年の60年の2月号はなかったのですが、その後、収集できたようですね。貴重な情報を有難うございます。
恐らく、言われる通り、アトムニュースに、「アトムが火星探検隊長になったので瀬川君は、軍服を着ました。かっこ良いと大評判です。僕らもも一緒に瀬川君を応援しましょう。」と言うような事が書かれている物と思われます。他に、撮影の様子なども書かれていたような気がするのですが、覚えていません。軍服は、よく考えて作られたと思います。漫画の原作とは、随分違います。ズボンをはかないので、丈を短くし、闘牛のマタドールのような軍服です。男物では、こんなに短い丈のジャケットは普通無いですね。ベルトより上の丈にする必要があったからでしょう。飾緒や斜めについたポケットなどこっていると思います。
ちなみに、放送局の系列変更が無ければ、実写版鉄腕アトムは、もう少し継続したと思われます。「アトム友の会」の会員募集がされ、60年3月頃には、アトムの会の開催案内が出ています。唐突に放送打ち切りになったので、瀬川さんも残念だったでしょう。
瀬川さんの年齢を考えると、毎日放送の系列変更が無ければ、あと、2クールくらいは、作成されたのではないかと思われます。放送打ち切り時は、瀬川さんは中一になられていたので、そのくらいまでと言う気がしています。何しろ、ロボットのアトムと違い瀬川さんは、大人になっていくので(笑)。
詳しい情報をありがとうございます。
少年アトムは守備範囲外なのですが、60年代のTV番組についていろいろと調べています。ご興味があれば私のHP (MUSASHI's Nostalgic Museum) をご覧ください。「User name : national」 「Pass word : kid」です。
なお、1964年7月26日封切の「地球防衛隊の巻」では「火星探検」とは違うタイプの制服を着ています。ご存知かもしれませんが、上記HP「森永製菓ビックリバッジ/江崎グリコ切手」の「鉄腕アトム・フィルム」をご覧ください。
近く国会図書館に行く用事があるので、時間が取れれば「少年」の記事について調べてみます。
ネットで当たってみましたが、記HPへのアクセス方法が判りません。URLを御教示頂けませんでしょうか。
アニメのアトムの制服は、言われる通り、地球防衛隊、アトム将軍と漫画の火星探検とは、随分違った制服になってますね。
火星探検にしても、アニメは漫画と違い、随分モダンな洒落た軍服に変わっていますね。
時代の流れに従い、手塚先生も、制服のデザインを変えたのでしょう。
しかし、漫画 アニメのアトムは、実写と違い質感のある服を着ている訳ではないので、実写のアトムのように、短いジャケットだけでズボン無しと言うのは、あり得なかったのでしょう。
松崎プロダクションは、かわいいのではなく、凛々しく、何となく色っぽい(笑)イメージの独自のアトム像を作り上げた訳ですね。
国会図書館で、60年2月号の少年のアトムニュースと、106ページのテレビニュースの記事を紹介頂けると有難く、宜しくお願い致します。楽しみにしています。
理由はわからないのですが、URLを入力しようとすると撥ねられてしまいます。
本投稿の先頭、茶色い文字の「Musashi-SAKAI」をクリックしてみて頂けますか?
有難うございます。確認できました。貴HPは力作ですね。
これからじっくり色々読ませて頂きたいと存じます。
やはりアニメのアトムの制服は、漫画の原作の火星探検隊長の制服より、皆モダンでモードのような感じになっていますね。
しかし、私は個人的に、実写のアトム少佐の飾緒のついた、ちょっと恥ずかしい感じのする制服姿が一番好きですね(笑)。
飾緒は、漫画 アニメには、書きにくいので、付けれなかったと思います。
貴HRを拝見させて頂いているところです。
ナショナルキッドや、そのロケ地のまとめを拝見し感激しています。
もう、サブカルチャアというより、文化史と言っても良いのではないでしょうか。大作です。
謎の宇宙少年など、当時の小学生が、半ズボンにタイツを穿いていた事を思い出させます。尤も、宇宙少年など、中学性のような気がしますが。
小学校高学年のタイツは少なかったと思いますが、母親の趣味で、お坊ちゃん風にしたかった場合は、高学年でも穿かされている子が居ました。それと、制服で半ズボン強制の小学校は、冬は、皆、タイツでした。当時は、今より、ずっと寒かったですし。
図らずも、実写のアトムの瀬川さんのタイツ姿と比較ができました(笑)。瀬川さんの太ももは普通の少年に比べると、かなり太めで(笑)、力強く見えたと思います。
他も、じっくり楽しませて頂きたいと存じます。ご紹介頂き有難うございます。
国会図書館に行ってきましたが、仰るように1960年2月号はありませんでした。
先日紹介した「少年 1960-02」は1960年の第2号と言う意味で、「正月増刊号」のようです。本号アトムニュースの見出しは、「アトムの本7さつ」「アトムのテレビ」「アトムの人形のかい方」「手塚先生の本6冊」でした。
囃 様
この度はお手数をかけて恐縮です。
国会図書館のリストを見ると、1960年は3号(2月号)だけが欠落しているようです。
売らずに取っておけば良かったかもしれませんね。
それは残念ですね。私はオークションは購入のみで出品はしない(というか、出品の仕方が分からない)のですが、知人にオークションで売りたいと仰る方がいて差し上げていた中の一冊だったのです。今思うと図書館に寄贈すれば良かったと悔やまれます。
早速の国会図書館での調査報告を有難うございます。私が、昔、国会図書館に行った時も、60年2月号はありませんでした。
その後、光文社の図書館にある事は確認できました。
従って、光文社が少年テレビニュースをまとめた小冊子を出版されると良いのですがね。
ハルト様
2月号を手放されたのは残念です。しかし、グラビアをスキャンされていたと言うのは、素晴らしい事でした。お蔭様で、鮮明な写真を楽しませて頂きました。小学生の時に、同級生に見せてもらったのが、ついこの間のようです。彼も、かっこ良いと思ったようで、わざわざ、学校に少年を持ってきて、グラビアのページを開いて、この写真を見ろと見せてくれたものです。当時は、軍服の飾緒と言う言葉は勿論、タイツ、ブーツという言葉も知りませんでした(笑)。
私が少年月刊誌を初めて買って貰ったのは、「ぼくら」1960年12月号でした。幼稚園の友達が持っていたので、親にねだって買って貰ったのだと思います。その後「ぼくら」は61年2月号あたりまで買って貰いましたが、小学校に入学すると買って貰えなくなりました。1年生の夏休みに病気になったか何かで、親が不憫に思ったのだと思いますが、初めて月刊「少年」を手にすることが出来ました。1961年8月号でした。まず、その分厚さに感動したのを覚えています。それから鉄人やアトム、矢車剣之助など連載漫画の豊富さに圧倒されました。その後「少年」は1962年1月号を買って貰っただけで、少年時代は2冊しか持っていませんでした。今になって当時を思うと、少年月刊誌の主流はやはり「少年」で、その後を「少年画報」が必死に追いかけているという構図ではなかったでしょうか。
ぼくら、少年画報と懐かしいですね。
私は、小学生の時は、学習雑誌しか買ってもらえませんでした。「楽しい小学--年生」と言うものです。従って、漫画を買ってもらえる友達が羨ましかったですね。漫画は、確か、一回だけ、ぼくらを買ってきてもらいましたが。
少年は、友達に借りるか、友達の家でみせてもらいました。
少年の60年1月号、2月号もそれぞれ別の友達に借りました。2月号は、学校でみせてもらったので、翌月号が出た時に、友達の家に行って先月号(2月号)を借りました。すぐに返せと言われたのが残念でした。当時、デジカメやコピー機などある筈もなく、返したくなかったですね(笑)。
当時は、同級生の女の子とは、余り話をしない時代だったのですが、女の子にもアトム少佐は人気があり、内心、瀬川さんが羨ましかったですね(笑)。だから、余計に記憶に残っています。
私も小学校3年生になると漫画は買って貰えなくなりました。その頃、少年雑誌の主流は月刊誌から週刊誌へと変わっていました。当時の同級生の女子たちに人気があったのはテレビ放送されていた「月光」でしたね。主役が2枚目だったこともありますが、隊員に女性がいたからかも知れません。希にエイトマンのライバルのケンが好きだという女子もいましたが(笑)。
少年雑誌が月刊から週刊に変わったのは、言われる通りです。私の場合、調度、その頃、小6くらいだったので、ハルトさんの場合、女の子に人気が有ったのが、月光、エイトマンのライバルと言うのが年齢的に理解できます。
少年雑誌が週刊に変わった時は、漫画の傾向が違うので、残念でした。月刊の少年雑誌は、良い子の代表のような子が活躍する事が多く、子供心に、自分も頑張らねば!と思いました。努力はしてみましたが、アトムのようには、女の子に人気が出ませんでした(笑)。
とは言え、女の子に話しかけられ、驚いた事もありました。
テレビ番組では、少年ジェットやまぼろし探偵も当然好きでしたが、アトムや金田正太郎と比べると、おにいさん過ぎました。
そう言う意味では、アトムが一番、良い子の代表と言う演出になっていたと思います。
何しろ、二番の歌詞は、「僕は良い子だ。」ですからね(笑)。今思えば、ある種の教育番組だったと言って良いかもしれません。
時代と共に少年のヒーロー像が変化していくのを見るのは面白いですね。
私が小学6年生の時、ヒーローはウルトラマンでした。ただその頃になると、少年たちの人気の中心はテレビのヒーローからプラモデルに移っていたように思います。私の周りでは金持ちの子供しか手にしていませんでしたが、スロット・レーシングカーが話題の中心でした。
私が、小6の頃のヒーローは、まぼろし探偵でした。再放送をしていたので。そして、中一の時に、実写のアトムの再放送が始まり、驚きました。中一でも、同級生は見ていたようです。余り話題にはしませんでしたが。アニメが始まるまで、ずっと再放送されていました。夏休みなど、午前と午後の二回放送されていました。当時、関西に住んでいたので、実写アトムを製作した毎日放送で放送していたのでしょう。
その頃は、妹も見るようになっていて、付き合いという事で、私も、一緒に見ていました。妹は、「男の子がタイツ!? ヘルメットの横顔が変!?」と言いつつ、やはり、アトム少佐がお気に入りでした。その後、漫画のスーパージェッターが人気となりました。
友達とは、余り、ヒーローの話はせず、女の子に興味が移っていきました(笑)。
その後、実写としては、ヒロインのポワトリンが良かったですね。ポワトリンがフランス語で胸を意味するのを知ったのは、ずっと後です。
さすがに6年生ともなるとヒーローでは盛り上がりませんよね(笑)。
私の場合、スロット・レーシングカーは模型屋のショウウインドウで見て楽しむだけのものだったので、興味は音楽の方に行きました。徐々に人気が出始めていたスパイダースのファンになり、彼らが中尾ミエと一緒にレギュラーを務めていた歌番組を毎週観ていました。
御覧になられていた歌番組は、ビクター歌うバラエティでしょうか。
私事で、恐縮ですが、中尾ミエさんは、福岡学芸大学附属小倉小学校を出られています。ここの中学に私は、一学期だけ通ったのですが、当時、テレビに出始めた中尾 ミエさんが、小学校の出身と同級生から聞きました。
私も、すぐに、関西に引っ越す前の話です。関西に引っ越したら、すぐに実写のアトムの再放送が始まり、中学生にも関わらず、夢かと思ったものです(笑)。
尤も、瀬川さんも、中一の初めまで、アトムを演じていた訳ですが、ファンは小学生、幼稚園児がメインだったと思います。
歌番組は、シャボン玉ホリデーや、ホイホイミュージックスクールを覚えています。
木の実ナナさんの日本人離れしたスタイルの良さに驚きました。
これも私事で恐縮ですが、私はボーイソプラノだったので、小学生の時は、合唱部にも所属しウィーン少年合唱団に憧れました(笑)。声変わりしたら、さっぱりでした。
ホイホイミュージックスクール、懐かしいですね!
ドリフターズを最初に見たのがその番組です。
最初いかりや長介もいかりや長一、加藤茶は加藤英文(?)みたいな名前だったと記憶しています(笑)。
ドリフターズのリーダーを選ぶ時に、最初は、荒井 注が良いとメンバーの総意で決まりそうになったのが、荒井 注さんが立ちあがったら、背が低いのが判って、ダメになったと言う本当かどうか判らない話を聞いた事があります。
注さんは、座高は高かったようです(笑)。
歌が多く入った「夢で逢いましょう。」も見ていました。寅さんでブレークする前の渥美 清さんが出ていました。
ブルーコメッツの「森 とんかつ 泉 ニンニク カー こんにゃく」は、覚えておられますか?
ブルーコメッツの「森 とんかつ・・・・」は、私の周りでは聞かなかったのですが、数年経って過去を振り返るバラエティ番組か何かで聴きました。妻も知っていたので有名だったのですね。発祥は「夢で逢いましょう」なのでしょうか?作ったのは渥美さんですか?
「森 とんかつ」は、当時放送されていた人気番組「チャコねえちゃん」のチャコちゃん役で主演していた人気子役の四方晴美さんが、ある日の番組撮影現場で出されたお弁当にとんかつが入っていたのを喜び、「わーい、きょうはトンカツだ! ♪森トンカツ、、、」と歌った事がルーツのようです。四方さんは、これも当時の人気番組であった「ちびっこのど自慢」に出演してこの替え歌を歌い、それで一気に広まったようです。
替え歌と言えば、私は、自作で、実写版鉄腕アトムの主題歌の歌詞を次のように変えて妹に披露していました。勿論、ヒットしませんでしたが(笑)。
僕は、素敵だ。アトム少佐。
火星探検 隊長だ。
軍服を着て、敬礼だ。
さあ来い、悪者、やって来い。
なるほど。「チャコねえちゃん」は観ていなかったので、当時は知らなかったことが分かりました。
楽しい〝替え歌〟ありがとうございます。
ネットの記載によると、実写のアトムを演じた瀬川 雅人氏の御子息が俳優の瀬川 亮氏だと紹介されていたものが有りました。
他に、それに関する記載は無いので、本当かどうかは不明ですが、年齢的には、雅人氏が30歳くらいの時に、亮氏が生まれた事になり、おかしくはありません。
亮氏は、すこし、雅人氏に似ている気もします。
本当なら、親子揃って、特撮ヒーローの主役を演じた事になり、新発見です。
また、雅人氏は、立派な御子息を持った事になります。
亮氏のブログでは、一度だけ、御尊父様について述べていて、2011年には、健在だった事がわかりました。 当時、62歳くらいだったと思われます。
何でも、餅入りぜんざいに凝っていて、そのせいか、最近(2011年)、太ったと書かれています。まさか!?と思いつつ、本当かもしれないと思ったりしています。
コメント有難うございます。
瀬川亮さんの存在は、昔の少年様のコメントで初めて知りました。
少しだけブログを拝見したら兵庫県で舞台をされていらっしゃったようですね。
アトムのご子息だったら楽しいでしょうね。
瀬川 亮さんは、出生地は、横浜だそうなので、当時、自由ヶ丘で、雅人さんが旅行代理店を経営されていたとして、居住地が横浜だったと言う可能性はありえると思います。
本当に、雅人さんの御子息が瀬川 亮さんなら、親子揃って、特撮ヒーローになった訳で、楽しいですね。
ちなみに、超星神グランセイザーも、約1年放送されていて、実写アトムより、少し短いですが、放送期間も似たようなものですね。
亮さんは、余り、御尊父様のキャリアについては、触れたくないようなので、真相が判るかどうかは不明です。
僅かですが瀬川さんのブログを拝見していると、本格的な俳優を目指されていることが伺えます。ご自身が特撮ヒーローだったイメージを払拭されたいのかも知れません。だとするとお父さまのキャリアに触れたくないということは、可能性ありですね。
ネットサーフィンをしていたら、以下のスレッドを発見したのです。
昭和30年代・中年おじさんの懐かしいテレビ
https://bubble2.5ch.net/test/read.cgi/natsutv/1066902910/
そこに、以下の記載があったのです。
313 :名無しだョ!全員集合:04/01/12 15:00 ID:Kgmsew+r
亜斗武の実写ドラマの主役の実子がドラマ「グランセイバー」主役
亜斗武と書かれていますが、アトムの事で間違いないと思います。
そこで、今度はネットで、グランセイバーの配役を確認したら、一番上に、瀬川 亮さんの名前を発見したものです。
瀬川亮さんの出身地、年齢から、瀬川 雅人さんの御子息でもおかしくないのが確認で来ました。スレッドの自身のある書きっぷりから、本当に、亮さんは、雅人さんの御子息であろうと推察しています。
とすれば、親子そろって、1年前後、特撮ヒーローを演じた事になります。
亮さんは、「俺は、グランセイバーのコスチュームの方が、好きだ。親父のアトム少佐の軍服もかっこ良いが、タイツが俺には恥ずかしい。」といったかもしれません(笑)。
ひょっとして、亮さんは、子供の頃に、父君から、アトムのコスチュームを借りて着てみたりしたかもしれませんね。と言うか、着てみろと言われたりしていて(笑)。
このスレッドは古く、もう閉じられているので、質問ができないのが残念です。
亮さんは、本格的な俳優を目指しておられるのと、グランセイバーの主役に選ばれたのを、親の七光りと言われるのが嫌なのかもしれません。
また、父君が、アトムを演じた事を余り言いたくないのかもしれません。良い子の代表で、人気があったんですけどね。後年、当時、演じていてコスチュームが恥ずかしかったとインタビューに答えておられたそうなので。と言う訳で、新発見をした気がしています。
時代によって価値観が変わりますものね。1950年代~60年代のアトムは正義の象徴で、今もアニメの方は日本のシンボルですが、実写版の方はお笑いの対象にされている感があります。世代間のギャップがあって当然ですよね。
1950年台は、実写が全盛でしたね。特に、少年ヒーローはあの時代特有だった気がします。私も、アトムの他に、少年ジェット、まぼろし探偵などを夢中になってみました。アトムと金田正太郎は、小学校高学年で、他はお兄さんヒーローだったと思います。
最近、アトムの実写版も、DVDのレビューを見ていると、「当時としては、素晴らしかった」とかかるているものもあり、再評価されているように思われます。
と言っても、評価しているのは、私のような当時の少年が大半な気がしますが(笑)。
その後、アメリカのCGのアトムは、普段からズボンもシャツも着ていますし、今、手塚プロの協力のもとに、制作されつつある実写のアトムは、アイアンマンのような感じになると書かれています。アイアンマン的だと、実写アトムの最初のコスチュームに近い感じに思えますが。
しかし、アトムには金髪碧眼には、なって欲しくないですね。
アトムは、CGも実写も造形には苦労するキャラクターだと思います。完全にアンドロイドという感じでもありませんし、かと言って、普通のロボットと言う感じでもありません。
手塚先生は、よく、ああ言うキャラクターを考え出したと思います。
一方、松崎プロもあの時代に、よく、アトムにチャレンジしたと思います。
仰る通りCGや実写は大変でしょうね。アニメならではのキャラクターですね。また観る方もアニメに慣れてますからね。それにしても五十年代はチャレンジ精神旺盛の時代だったのでしょうね。まだまだ戦後の復興が残されていたのでしょう。大人が凄く元気に見えて、早く大人になりたかったですから(笑)。
御無沙汰しています。
私は、たまに、英会話喫茶に行くのですが、合間にメールをする必要があり、パソコンも持って行き、会話中に時々、メールを確認したりしてます。
本日、たまたま、20代前半の、いけめんの男性のバレーダンサーが参加されました。
調度良い機会だったので、彼に、ハルト様のこのブログの「火星探検隊長として敬礼するアトム少佐」の写真を見せて、「実写のアトム少佐のコスチュームは、バレーの王子様のコスチュームのイメージを参考にしているように思うがどうか?」と、訊いてみました。
彼は、当然、実写版の瀬川アトムなど知る筈もなく、写真をしげしげと見て、「ズボンを穿かず、タイツ姿だし、確かにそう言う感じがする。50年以上も前の作品ですか?」と、驚いておられました。
実際のバレーダンサーも、私と同様のイメージを持たれる事が確認できました(笑)。
当時、松崎プロダクションは、どう言うコスチュームにするのか、苦労した事が、想像されます。
ちなみに、アメリカ人の先生は、CGのアトムまでは知っているそうですが、彼も、実写のアトムには、驚いておられました。
御参考まで。
ご無沙汰しています。
アトムのコスチュームはバレーダンサーの方には斬新に映ったのでしょうか(笑)。
アメリカ人の先生は知らないでしょうが、実写版アトムと同じ時期に「スーパーマン」が放送されていました。同じように漫画を実写にしたヒーローで、どちらもタイツ姿でした(笑)。
バレーダンサーは、クラッシックバレーだそうなので、彼もタイツ姿で踊っているのでしょう。
「女性を持ち上げるのは難しいか?」と訊いたら、その時に、「女性は、持ち上げられる瞬間に、体を硬直させるので、持ち上げやすいと聞いている」との事でした。
また、プリンシパルにはなられていないので、御自分が女性を持ち上げる演技はされた事が無いそうです。
実写版アトムのコスチュームは、バレーダンサーには、斬新に映ったようです。恐らく、バレーの王子様に近いという事で、かっこいいと思われたような感じに見えました。
とは言え、「演じた瀬川さんは、タイツ姿は恥ずかしかったらしい。」と言ったら、うなずいていました。彼も、恥ずかしいのかも(笑)?
アメリカ人の先生は、映画のスーパーマンは、御存じでしょうが、ジョージリーブズ氏の演じるテレビ版スーパーマンは、御存じないでしょう。彼が生まれる前の作品なので。
とは言え、アメリカ人には、スーパーマンを演じた俳優に起きた悲劇の伝説を御存じな方は多いようです。
なお、話が脱線しますが、喫茶の場所がらか、バレーダンサーの隣に座られた方は、いけめん俳優で、今週まで放送されていたMiss Devilとか、半沢直樹にも、出演されていました。眼鏡と帽子で、ちょっと見には、判りません。サインを頂きました(笑)。
また、いけめん俳優の反対隣りには、ニューヨークに住んでいたミュージカル女優が座っておられました。今度、オーディションの審査員をされるそうです。
何と言う世界だろうかと思った次第です。
なんと豪華な英会話喫茶ですね!
貴重なご報告、有難うございました。
話が脱線し過ぎで申し訳ないのですが、別のブランチに2週間くらい前に、行ったら、そこは場所柄か、お役人が多いようで、外務省と建設省の方が来られました。
英会話のフリートーキングに参加すると思いかげない事が色々あります。
10年くらい前は、日本で初の女性プロゴルファーが来られました。
何でも、某財閥の令嬢だったらしく、昔、アメリカに、ゴルフクラブを買いに行かれたと伺いました。
他には、ニューヨークのワールドトレードセンターの跡地のコンペに参加し、ベストテンに入られたと言う建築家に、先日、お会いしました。
勿論、懐かしのテレビのヒーローの話をして、通じる方は、殆ど、おられません。
今回は、若い方ですが、バレーダンサーだったので、実写アトムのコスチュームに対する感想を伺う事が出来ました。普通は、いきなり、ああいう見慣れないコスチュームの写真を見ると、驚いて頭がついて来ず、絶句と言う方が多いです。
流石、バレーダンサーと思いました。一般に、バレーの王子さまの上着は丈が非常に短いです。従って、アトム少佐のジャケット、タイツに全く抵抗が無かったようです。
いろんな場で懐かしのテレビヒーローの話をされていらっしゃるのですね。
これからも古き良き昭和の語り部としてご活躍下さい。
コメント有難うございます。
残念ながら、いろんな場では話はしておりません。ハルト様と、先のバレーダンサーくらいです。話が通じる事は非常に少ないので(笑)。
今回は、たまたま、バレーダンサーがおられたので、実写アトムについてバレーダンサーに訊いてみたかった事を思い切って? 訊いてみたものです。
真剣にコメント頂けたのは、予想外?でした。アトム少佐のコスチュームに違和感は全く、少年ヒーローとして似合っていると思われたような感じから、やはり、バレーダンサーは、他の方と住む世界が違うような気がしました(笑)。彼のカジュアルな服装も、色合いが普通の方とは違いましたね。
中古のDVDが格安で購入できました。火星探検と気体人間の巻です。
なんと、解説書に、雑誌「少年」のS35年2月号の少年新聞に載った火星探検の巻の撮影エピソードが紹介されていました。ざっと、以下の通りです。敬礼するアトム少佐の写真が載った号の説明です。
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*テレビの鉄腕アトムでは、いま第四話「火星探検の巻」を放送しています。
このお話では、アトムは火星探検隊長になって火星に行きます。
舞台が舞台だけに撮影が大変。
いままでにない大がかりな特殊撮影がなされました。
ここに載せた二枚の写真(新型ロケットX基地と宇宙人の宇宙艇)は、東京・渋谷の渋谷スタジオでおこなわれた、火星のシーンの撮影のもよう。
苦心のミニチュアがならん゛ていますね。
この巻の撮影では、アトム役の瀬川くんは、立川にある米軍のジョンソン基地へも行きました。
ところが、「鉄腕アトム」のテレビは、アメリカ人の少年の間でも、大人気。
瀬川くんは、アトムのメンコを手にしたアメリカの少年たちにとりかこまれてサインぜめにあい、うれしい悲鳴を上げる始末でした。
テレビのアトムもこの二月七日で、まる一年続いたことになりますが、瀬川アトム少年も、すっかりなれて、大張り切り。
第三話の時には、自動車の運転まで、覚えてしまい、いまの第四話では、りっぱにルノーを運転して登場し、みごとなアトムぶりをみせています。
「少年」のアトム同様、テレビのアトムくんもかわいがってください。
という訳で、まぼろしのアトムの記事がやっと確認できました。
火星探検隊長のコスチュームを着用し、張りきっている瀬川くんが、敬礼するアトム少佐の写真を雑誌「少年」に、撮ってもらったのが、囃ハルトさんに、紹介頂いた「少年」に載った写真だと言う事が理解できました。
当時、そんなイメージで、この写真を見ていた事を思い出しました。懐かしいです。
米軍人の子供なら、他の子より、飾緒のついた軍服のカッコよさをより理解するでしょう。
タイツ、ブーツは、スーパーマンようにヒーローの定番でしたし。
ヒーローアイテムの集大成のようなアトム少佐だったと思います。
コメント有難うございます。
実写版アトムがアメリカの少年たちに人気があったとは初めて知りました。
手塚先生が日本のディズニーを目指していたということもあって、「アトム」というとアニメが定番になっていますが、実写版は今でいう3Dなので、その分迫力がありましたね。
またアトムが完全無欠なヒーローではなかったので、ハラハラ感がありました。
子供にとっては、実写版であるがゆえに少年アトムにリアルな共感を覚えたのかもしれません。
以前、S35年2月号の記事が読めないか?という話がありましたが、図らずも、DVDの解説書で確認できました。
米軍基地で、子供にメンコのサイン攻めとは凄いですね。まさに、アイドルのはしりだと思います。
また、解説書には、向ヶ丘遊園で開催された「アトムの会」の写真も紹介されていました。
昔のDVDの解説書より、情報が増えたように思われます。画像は、よりクリアになった気がします。
実写のアトムは、特に、ホディスーツ風のタイトな後期コスチュームになってからは、余り、強くなく、敵のロボットと戦っても、やっと勝つと言う感じでした。言われるとおり、子供達をハラハラさせる効果があったと思います。
火星探検の巻では、光線銃で撃たれて、力が出なくなってからの隊員との格闘でハラハラさせていました。また、胸が開くコスチュームになったので、胸を開けられてメカを抜き取られて、悶絶して壊れると言う有名なシーンを演出できていました。
ハラハラすると思わず、アトムと言うか、アトムを演じる瀬川少年を応援したくなる感じです。
今回、改めて、DVDを観ると、火星探検の巻では、軍服を着用し、部下の隊員を統率したので、より、使命感が感じられる演出となっていました。何しろ、隊員は、大人ですからね(笑)。
やはり、実写版は等身大で、当時の子供は、自分がアトムを演じているような気持で観る事で、共感を覚えた気がします。
漫画、アニメの方は、異次元の世界と言う感じで、自分がアトムになったようなイメージでは、観れなかった気がします。勿論、どちらも、非常に面白かっだすが。
近年になって情報の精度が高くなるにつれ、当時の状況が詳細に入手できるようになったことは喜ばしいことです。
アニメになってからは弟が毎週見ていたので、私も見ていたはずなのですが、ほとんど記憶に残っていません。私にとってはアニメはエイトマンです(笑)。
やはり鉄腕アトムはアニメよりも実写版の方が印象深いですね。
なお、新DVDの解説書によると、気体人間の巻は、第一話が紛失しているのが残念ですが、二話からのオーブニングの配役に、鉄腕アトム・飛男:瀬川 雅人となっているので、第一話に、飛男の回想シーンとして、素顔の瀬川雅人さんが演じる飛男が登場したのだろうと説明されています。
ZZZ団の巻の時に、ジャケットと長ズボンを着て、頭にはターバンを巻いて変装するアトムが登場しますが、恐らく、その時のイメージで、ターバンを取り、半ズボンをはいたような感じの飛男が登場したものと思われます。
第一話が紛失しているのが残念ですね。
気体人間オープニングの空を飛ぶシーンは、ヘリコプターから、身を乗り出しての撮影だったそうで、怖い撮影ですね(笑)。
また、火星探検から気体人間の巻は、実写の鉄人28号と、同時に、撮影が進められた事が紹介されていて、スタジオも、同じだったそうです。
そのため、向ケ丘遊園のアトム大会では、ステージ上に、実写の鉄人も凍傷したと説明されています。
瀬川 雅人さんと、内藤 正一さんが、会った事は、容易に想像できます。内藤少年が、アトム少佐のコスチュームを着たがったという噂も、本当のような気がします。
鉄人のアニメが始まった頃、シールやワッペンが流行っていました。アトムシールはマーブルチョコレートに入っていて、鉄人ワッペンはグリコのオマケでした。あとエイトマンシールは丸美屋のふりかけに入っていました。ハリス無段のシールはハリスのフーセンガムに入っていて、今でいうタイアップですね。他、アトムと鉄人は光文社のカッパコミックスにもシールがついていましたね。
しかも、鉄人の作りの関係で、他のロボットとの戦いは、押し合うような感じで、格闘と言う感じには出来なかったので。
しかも、金田 正太郎が鉄人を操縦するところにまで、至らないまま、終わりました。
その点、実写アトムは、あまり強くせず、必死の格闘が売りだったので、よく覚えられたのだろうと思います。
アトムのアニメのシールは、当時、大人気でした。明治製菓のマーブルチョコは、相当に売れたと聞こえました。
メンコの方は、DVDの解説書によると、松崎プロが第二巻と第三巻をメンコにするのを承認したそうで、今でも、ネットで取引されていますね。
火星探検の巻のメンコが無い理由がそれで判りました。
第四巻も、メンコになれば、随分売れたと思うのですが、残念です(笑)。
おそらく再放送もされなかったのではないでしょうか。
実写版のアトムは何度も再放送されていたように思います。土曜日の午後あたりにやっていたような記憶が。カニ男や火星探検が記憶にあります。
実写版アトムのメンコはオークションで6枚ほど入手しました。
確認しましたが、おっしゃる通り、火星探検のものは無いですね。残念ですね。
実写アトムの再放送は、本放送が終わった3年後くらいから、関西では、夕方の月曜から金曜まで、ずっと放送されていました。大阪の毎日放送が制作したからというのもあると思います。
夏休みなど、午前と午後の二回放送されていました。
同級生は、中学生になっていましたが、それでも実写アトムを観ていた方が何人もいましたね。
アニメのアトムが放送開始になって、暫くして、実写アトムの再放送が終わりました。
当時、近くの小学生が、公園でアニメのアトムの話をし、それに対して、幼稚園の子が、「人間のアトムもあるよ。」と言っていたのを覚えています。
我が家でも、妹が再放送をよくていました。瀬川くんのタイツ姿は、スーパーマンのようで、かっこよいと思っていたようです。
メンコは、ナショナルキッドなどもあるので、実写アトムが終わってからも、何年かは、販売されていたと思います。
一番人気があったと思われる火星探検の巻のメンコが発売されなかったのは、何故なんでしょうね。軍服を着用したアトム少佐以外にも、レンコーンのロボットなどもなかなかよく出来ていたと思います。
また、ロケットに潜りこんだキャーペットと言う女性が可愛かったです。笑顔が特に、良かったです。アトムより、年上ですが、何となく、アトム少佐に思いを寄せているという設定が懐かしいです。
やはり、アニメより、実写アトムの方が思い入れのある方がおられるようです。
https://houyukai-sapporo.com/2019/06/24/%e7%ac%ac387%e5%9b%9e%e3%80%80%e5%bf%99%e9%85%94%e6%95%ac%e8%aa%9e%e3%80%80%e6%80%9d%e3%81%84%e5%87%ba%e3%81%b6%e3%82%89%e3%81%b6%e3%82%89/
また、ハルトさんのこのブログの敬礼するアトム少佐写真を紹介されてご覧になられたご婦人が、ご自身のブログで下記のように感想を述べておられました。
彼女は、アトム少佐は、かっこよいと絶賛しています。軍服のタイツとのコンビネーションも含めての感想で、貴重です。
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鉄腕アトムに実写版があるとは知りませんでした。火星探検隊長のアトム少佐という名前だったんですね。情報ありがとうございます。
小6の少年、かっこいいですよー! 女子に人気だったそうで、大人になってもきっとモテモテだったんでしょうね(^^♪
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また、まんだらけでDVDの通販をしていて、下記に説明が有ります。
ハルトさんのブログに載った写真で、実写アトムの軍服姿は、有名になったように思われます(笑)。皆様の感想によると、今、観ても、かっこいいと言われています。
前期のプロテクターのコスチュームのアトムしか紹介されなかった頃と比べると、当時の人気が正しく理解されてきているように思われます。
https://www.mandarake.co.jp/dir/spr/ufo/2019/01/12/ufodvd-dvd-box-2016.html
5部構成で、どの部にも妙齢の美婦人が登場!
キャラクターや小物にファッションが当時の最先端を取り入れて、そこが現代から見るとモダンでなんともお洒落。
そして外ロケ時には、舗装されきってない路面に建物、当時の日本が垣間見れるという歴史的資料面でも貴重な作品です。
火星探検隊では隊長を務めたアトムが軍服を着ていて、そこがまたかっこいいんです。
先に、書きましたように、ハルトさんに載せて頂いた雑誌「少年」に掲載された写真のお蔭で、実写版鉄腕アトムの火星探検隊長の軍服姿が、今になって、知れるようになった気がします。
「少年」に載せるべく撮られた写真なので、DVDにも同じ写真はありません。
実写アトムのファンだった私としては、実写アトムが正しく知られるようになって来た事で、ハルトさんに大変感謝しております。有難うございます。
瀬川 雅人さんが、ネットで実写アトム関連の情報にアクセスしておられるのなら、「かっこよい」と言うコメントを知り、驚いておられるのではないでしょうか?(笑)
沢山のコメントと、感謝の御言葉まで頂戴し、恐縮しております。
有難うございます。
また面白い写真に遭遇できれば記事にしたいと思います。
宜しくお願い致します。
YOU TUBEで、「アニメVS実写」 と言う動画を見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=zYszWVmEONU
これに、実写の鉄人28号と、鉄腕アトムも入っていました。
鉄腕アトムでは、これまで、YOU TUBE等に載った事の無いアトムが走ってくるシーンが載っており、貴重です。オープニングは、空を飛ぶシーンが殆どなので。
是非、ご覧下さい。
テレビで紹介されたものだと思います。受けをねらって、実写アトムをかなりこき下ろしていますが。
また、アトムが友達と並んで歩いてくるシーンでは、瀬川少年の脚の長さと、ふっくら具合がわかります。英語では、瀬川少年のようなふっくらしている子を表す言葉に、chubbyと言う言葉があるそうです。
Youtube拝見しました。
1991年のテレビ番組ですね。実写版をネタにして、当時を懐かしむのではなく、50~60年代の子供文化を馬鹿にする番組が一時流行っていたようですね。1990年代はテレビを見る時間が殆どなかったので、こういった映像は、後にYoutubeを通じて知りました。
ところがその後、人気漫画をアニメではなく実写で映画化するのが流行りました。代表的なのは「20世紀少年」です。今の世界情勢をみて、この作品を思い出した方は大勢いらっしゃると思います。
1991年なので、ZZZ総統の巻のビデオだけが発売された後に、放送されたようです。
この放送のコメントを聞くと、アトムを演じた瀬川さんが、後年、インタビューを余り受けたくなかったらしいのも、判る気がします。
DVDで、全部の巻が見れるようになる18年も前の放送と言う事になります。
それで、やっと、実写アトムも復権したような気がします。
それでも、実写アトムの放送時の人気ぶりは、なかなか判りません。
ハルトさんの少年ニュースの火星探検隊長の写真は、当時の状況を伝える貴重な資料だと、改めて思いました。わざわざ、雑誌社が取材し、写真を掲載した事が判るので。
瀬川さんも、インタビューに応じて欲しいですね。当時の撮影のエピソードなど、ご本人が言われれば、特撮黎明期の貴重な証言になると思います。
なお、「20世紀少年」は、知りませんでした。