1961年、九ちゃんの「ステキなタイミング」で幕を開けたカバー・ポップス・ブームは、1962年にそのピークを迎える。年明け早々に飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」が大ヒット。飯田は〝チャコ〟の愛称で忽ちアイドル・スターになり、この曲1曲で年末の紅白に出場。春にはデルシャノンの「花咲く街角」を九ちゃんとチャコがカバーし、コニー・フランシスの「可愛いベイビー」は中尾ミエを筆頭に何人もの歌手がカバー。挙句には本家のコニー・フランシスの日本語バージョンまで登場した。また当時№1アイドルだったスリー・ファンキーズは、バリー・ダーベルの「涙の日記」をカバー。夏になるとまたしてもコニー・フランシスが「ヴァケーション」でブームの中心となり、弘田三枝子や伊東ゆかりをはじめ何人もの歌手がカバーする。そしてツイスト、チャールストンなど空前のダンス・ブームが到来。ミルク・ティーンと呼ばれる年端もいかない歌手たちが「ロコモーション」や「マッシュポテト・タイム」を歌い踊る。秋風が吹き始める頃には映画「レッツ・ゴー物語」の主題歌「ア・チェンジ・オブ・ハート」を九ちゃんがカバー。同じく映画の主題歌「三軍曹マーチ」のカバーがヒット。その他ニール・セダカの「恋の一番列車」や「悲しき慕情」、クリフ・リチャードの「ヤング・ワン」、ダニー飯田とパラダイスキングのカバーでヒットしたパット・ブーンの「悲しきカンガルー」や、もはや鈴木やすしのオリジナルとなってしまった本家リトル・リチャードのエディ・コクラン・バージョン「ジェニ・ジェニ」。・・・・もう切りがないぜYeh!
ということで1962年のカバー・ブームを締め括る1曲がジョン・レイトンの「霧の中のロンリー・シティー」。幾人かの歌手がカバーしているが、僕は当時、克美しげるのカバーを聴いたとき、子供ながらにサビの部分で鳥肌が立ったのを覚えている。