追憶

大学生になった僕にとって、一番大切だった事はジュリーの真似をすることだった。

長髪にパーマをかけ、DOMONのブラウスにベルボトムのジーンズ、それからラビット襟のシャツにスリー・ピースのスーツ、そしてヒールが7センチあるロンドン・ブーツを履いて大学に通った。授業を終え講義室から出てくると数人の女子が待っていて、僕の後をゾロゾロついてきた。その時は気にも留めなかったが、後から聞いた話ではその中の一人が僕に気があるらしく、女子寮の仲間を連れて僕を見に来たという事だった。それからも講義室で出会った女子学生は、必ずと言っていいほど後から声をかけてきた。秋になり入部していたサークルが大学祭に出店することになると、僕たち1回生はチケット5枚を割り当てられたが、僕だけは先輩や同級生から20数枚のチケットを押し付けられた。でも京都御所にたむろしている女子学生が全て買ってくれて、チケットは1日で捌くことができた。昨年までの高校生活とは真逆の毎日だった。みんなジュリーのお陰だ。

2回生になりサークルに新入生が入部してきた。その中に今の妻がいた。若葉の頃、僕は彼女を誘って国立美術館に来ていたセザンヌを見に行った。祇園祭も誘おうと思ったが、その時彼女はグループ交際をしていることを聞いたので、相手に悪いと思って遠慮した。祇園祭の宵山は、同級生の下宿で徹夜マージャンをして過ごした。ジュリーの「追憶」がヒットしていた。前年の「危険な二人」と同じ加瀬邦彦作曲の、ジュリーにしか歌えないドラマチックな曲で、1等賞シリーズの第2弾となった。僕は早速ジーンズを数本買いこみ、ベルトの部分と太腿の辺りを裁断し、母に頼んでベルトの部分を3段に重ね、太腿から下を継いでもらった。大学が夏休みに入るころ、結局僕は妻と交際を始めた。彼女とは結婚後も祇園祭に一度も行ったことがないが、この頃になるといつもジュリーの「追憶」を思い出す。妻も当時を振り返って、僕が彼女たちのグループでいつも話題になっていたこと、今日はキャンパスのどの辺りで僕を見たとか、僕が取っていた講義の時間割を全部知っている友達がいたとか、懐かし気に話す。あの頃に戻りたいとは思わないが、あの頃が今の僕を支えていることは確かだ。でもジュリーの「追憶」で印象に残るのは、やはり何と言っても1974年の紅白のシーンだろう。