花・太陽・雨
19714月、この年高校2年に進級した僕は、相も変わらず受験勉強に没頭する毎日を送っていた。級友たちは何がそんなに楽しいのか、みんな生き生きとした表情で、それぞれが口元に笑みを湛えていた。彼らにとって高校2年生というのは、青春を謳歌する「よろこびの時」だったのだろう。だが僕は、そんな「よろこびの時」、「わらえない人」だった。1971年の僕に「春のおとずれ」はなかった。

人生の中では思うようにいかない事が多々あるのだろうが、僕にとって1971年は何をしても、どんなに心を立て替えても物事が思うようにいかない年だった。生まれて初めて「死」を意識したのもこの年だ。この年410日にリリースされたPygのデビュー・シングル「花・太陽・雨」は、そんな僕の心情を歌っているかのようだった。当時は今と違っていろんなジャンルのヒット曲が巷に溢れていたのだが、僕にとっては「花・太陽・雨」だけが1971年を象徴する1曲だ。

ムッシュが「スパテンタイガース」と呼んだPygは、渡辺プロの強力なバックアップの下でスタートを切った。この年にはツェッペリンやGFRなど海外のビッグ・ネームが大挙来日し、ロックが商業主義の象徴であることを見せつけているのに、大手プロダクションがバックアップするPygが商業主義の象徴だとブーイングを浴びせた当時のロック・ファンの頭の中がよく分からない。きっと人気者ジュリーやショーケンに対する嫉妬だったんだな。そんな中で、僕のクライアントの友人である木村英揮氏が京大西部講堂において仕掛けたロック・フェス〝MOJO WEST〟にPygが出演し、「花・太陽・雨」の奥深い哲学性が明かされるのである。

この曲は、当時はオリコン・チャート最高位30位止まりだったが、その後現在に至るまで数多くのアーティストたちにカバーされ、今ではカラオケまで存在する。そのカラオケ映像を見た時、1971年当時の自分の姿とあまりにもカブっていたため、思わず吹き出してしまった。