先日「いつものことではあるけれど」を書かれているおーちゃん様とお会いし、音楽に傾倒し始めた年が1975年であることをお聞きした。この1975年という年は僕にとってもエポックな年だった。この年、同志社大学は創立百周年を迎え僕らのゼミでも学園祭に出店しようということになり、小さな講義室を2つ借りて当時流行り出していたディスコをやった。高校時代に軽音楽部だった連中にバンド演奏を頼んだのだが、この時彼らから「お前も何かやれ」と言われた。彼らはフェイセスやザ・バンドなどをコピーしていたので、「それなら」ということで「ステイ・ウイズ・ミー」と「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌った。これが、僕がロッド・スチュワートに傾倒するきっかけとなった。発売より3年遅れて「ネバー・ア・ダル・モーメント」を買い夢中で聴いた。中でも「トゥルー・ブルー」は鳥肌モノで、何回も聴いた。それからというもの、ロッド・スチュワートがリリースするアルバムは全て買い揃えている。

Page0001 (2)


学園祭が終わった頃、僕はジュリーを通してタケカワユキヒデの存在を知った。

この年、ジュリーは結婚披露も兼ねて比叡山で野外ライブを行った。この時、ジュリーが歌った「夜の都会(Night Time)」が、それまで耳にしたことのないエキゾチックなメロディーだったので早速調べたところ、その作者がタケカワユキヒデであることが分かった。「夜の都会(Night ime)」は、この年早々にタケカワが発表したアルバム「走り去るロマン」に収録されていた。比叡山ライブにはミッキー吉野も参加していたので、ジュリーとタケカワユキヒデとは何らかの繋がりがあったのかも知れないが、どのような経緯でジュリーがこの曲をセット・リストに加えたのか、非常に興味深い。

Page0003

僕はこの「走り去るロマン」をリリースから3年経った1978年に入手した。その直後にタケカワユキヒデがGODIEGOのボーカリストとしてメジャー・シーンに登場したのには正直驚いた。
Page0002 (2)