僕の記憶では1968年という年は、国内外問わず大衆音楽の当たり年となっている。
まず国内のミュージック・シーンを牽引していたのは「君だけに愛を」「花の首飾り」「シーシーシー」と立て続けに大ヒットを飛ばしていたザ・タイガースや「エメラルドの伝説」のテンプターズ、そしてスパイダース、ゴールデン・カップス、オックスといった一連のグループ・サウンズだったが、「帰ってきたヨッパライ」のフォーク・クルセダース、「ケメ子の唄」のダーツなどアングラと呼ばれたフォーク・ソングや、さらには「恋の季節」が大ヒットしたピンキーとキラーズ、そして「星影のワルツ」のような演歌や東京ロマンチカ、ロス・プリモスなどムード歌謡と呼ばれたグループが次々とヒットを放ち、新聞のテレビ欄は「夜のヒット・スタジオ」を始めとする歌番組で連日賑わっていた。
また海外のヒット曲も次々と紹介され、この年一番の人気グループ・モンキーズが冠番組を通して「デイ・ドリーム・ビリーバー」「すてきなバレリ」をヒットさせると、ビート・ポップスではビートルズの「ハロー・グッド・バイ」「レボリューション」「ヘイ・ジュード」のMVをオン・エア。ビージーズは「マサチューセッツ」のヒットで知名度を上げ、ローリング・ストーンズのヒット曲「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」は国内GSが競ってカバーした。サントラでは「卒業」のヒットを背景にサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」や「ロミオとジュリエット」などが大ヒットし、「キサナドゥーの伝説」のデイブ・ディー・グループ、「サイモン・セッズ」の1910フルーツガム・カンパニーなど次々と海外アーティストにスポットが当たる。さらにこの年は、ノーザン、サザン問わずブラック・ミュージックを一括りにして「R&B(リズム・アンド・ブルース)」という言葉が使われ始め、「マイ・ガール」のテンプテーションズ、「ドッグ・オブ・ベイ」のオーティス・レティングなどがソウル・シンガーと呼ばれるようになる。
まだまだこの年は続々と海外アーティストが登場するのだが、僕にとって特に印象深かったのは秋頃から話題になり始めた〝アート・ロック〟と呼ばれるジャンルのアーティストたちだった。〝アート・ロック〟とは、一説にはロックとジャズとの融合であるとか、アーティスティックにアレンジされたロックであるとか言われていたが、その定義は定かではない。我が国で人気の高かったのはドアーズ、クリーム、ヴァニラ・ファッジなどで、とりわけヴァニラ・ファッジの「You Keep Me Hanging On」は国内GSが競ってカバーしたが、やはりザ・タイガースの右に出るものはいなかった。僕はタイガースの「美しき愛の掟」がこの「You Keep Me Hanging On」の延長線上に位置するように作られたのではないかと思うのだが・・・・・・。
コメント
コメント一覧 (3)
「僕の記憶では1968年という年は、国内外問わず大衆音楽の当たり年」
本当に、紹介された曲名がどれもこれも記憶に強く残るものばかりです。
もう半世紀も過ぎたのに、あの当時の音楽がどれくらい自分の記憶に深く
刻みつけられているのかと思いました。
タイガースはもちろん、モンキーズも大好きです。そして、サントラでは
サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」「ロミオとジュリエット」・・・
どちらも大変懐かしい! ロミオとジュリエットはフィギアスケートの音楽にもよく
使われています。あの当時は映画音楽が今よりも もっと身近にありました。
「美しき愛の掟」は、タイガースには背伸びをした楽曲のように当時は思いました。
ジュリーのボーカルが曲を表現しきれていない、この曲にはまだ若すぎる感じ。
>「You Keep Me Hanging On」の延長線上に位置するように作られたのではないか
そういう事なのかと合点がゆきました!
コメント有難うございます。
私は1968年には中学2年生になっていました。
丁度中学校にも慣れて来たのか、ある意味気持ちにゆとりがあったのかも知れません。
振り返ってみると自分の好きな歌の殆どがこの年に集中しているみたいです(笑)。
ところで「ヒューマン・ルネッサンス」を起点にタイガースのプロデューサーは村井邦彦氏になりますが、これは僕の勝手な想像なのですが、「ヒューマン・・・・」後のタイガースの方向性は村井氏にとってかなり難解なテーマであったのではないかと思うのです。
トッポは「ヒューマン・・・・」こそがタイガースのすべてであるような発言をしていて、おそらくリリース後はやる事がなくなってしまったみたいな、そんな感覚を持っていたのではないかと思います。ところがプロダクションは彼等をいつまでもアイドルとして扱いたかったから「ヒューマン・・・・・」の後に何を持ってくるかなどというような発想は無かったのではないでしょうか。そんな状況下で村井氏が獲った戦略は、話題となり始めているアート・ロックをタイガースに歌わせたら・・・・という結論ではなかったかと勝手に思っています(笑)。
「美しき愛の掟」はボーカルは沢田さんの独り舞台でメンバーのハーモニーは皆無です。
後に大野克夫さんが当時のGSで真の〝リード・ボーカル〟と呼べるのはジュリーだけだったとコメントされていますが、やはりプロデューサーの立場としては方向性の見えない状況下では沢田さんのボーカルに頼らざるを得なかったのではと思うのです。
私もイントロを聴いた瞬間、「わぁ~ロックや!」と思いましたから。
今までの彼らのサウンドとは少し趣を異にしていましたが、それ故日本のポップ・シーンの可能性を託されたような斬新さを感じました。