我が国ポピュラー・ミュージックの草分けがまた一人この世を去った。
カントリー・シンガーとしてデビューしたムッシュかまやつ氏の幅広い才能が開花したのは、やはりザ・スパイダースがメジャー・シーンに躍り出た時からだろう。
1966年4月にリリースされた「ザ・スパイダース・アルバムNo.1」では全12曲のうち8曲をかまやつ氏が作曲している。この中に収められている「ビター・フォー・マイ・テイスト」は、後にジュリーのアルバム「G.S. I LOVE YOU」の中に「午前3時のエレベーター」としてリメイクされている。僕はこの曲が大好きだ。大好きな作曲家が作った大好きな曲を、大好きなシンガーが歌っているのだから最高だ。
かまやつ氏はこの他にも沢山の曲を他のアーティストに提供している。GS時代のビーバーズやテンプターズは言うまでもないが、1970年に入ると無名のアーティストの作曲も手掛けている。中でも僕が大好きだったのは、関西の女性フォーク・グループ、ソウル・エイジェンツの歌う「昨日のように」。おそらく知名度はゼロに近いだろうが。
そんなかまやつ氏のシンガーとしての成功は吉田拓郎の作った「わが良き友よ」の大ヒットだが、同じ頃、彼は役者としてテレビや映画に出演しており、表現者としての幅広い才能を発揮している。
他の作曲家が書いた曲をかまやつ氏がシンガーとしてリリースした中で、僕が大好きなのは筒美京平氏の作った「青春挽歌」だ。大学の合格通知を受けてほっとしていた丁度今頃の季節を思い出す。
3年前、京都の得意先の方からかまやつ氏のライブのお誘いを受けた。その時仕事が入って行けなかったのが、今悔やまれてならない。
ムッシュ、安らかにお眠り下さい。
合掌。
コメント
コメント一覧 (2)
私にとって、GSの入り口は勿論 スパイダースからでした。
スパイダースの曲はそれまでの青春歌謡とは一線を画し、カッコイイ!と思いました。
ジュリーの「午前3のエレベーター」が、スパイダースのアルバムの
リメイクだったことは初めて知りました。
かまやつさんにはとても似つかわしくない、演歌っぽくバンカラな「わが良き友よ」を
歌って大ヒットしたのは とても意外でしたが、ご本人も
「さっぱり歌詞の世界が理解できず、感情を込めずに歌った」と去年の
朝日新聞紙上で述べられていて、やはり・・ と納得しました。
そして、ハルトさまの学生時代の想い出を読んでいて、私も思い出したことが(^-^)
77年頃、かまやつさんが我が母校の学園祭に出演されたのです。
有名人や珍しい!料金も安く、級友と見に行ったことを数十年ぶりに思い出しました。
でも、その内容は今やさ~っぱり覚えてはいないのです。
コメント有難うございます。
学生時代にかまやつさんのライブをご覧になられたのですね。羨ましい!
うちの学園祭にはファニーカンパニー時代の桑名正博さんとかが来ていました。実行委員会がマニアックだったのですね(笑)。
私の個人的な感想ですが、かまやつさんは沢田さんのことをかなり意識されていたのではないかと思います。きっと一緒にバンドをやりたくて仕方がなかったのでは。タイガース時代には田園コロシアムでのコンサートにゲスト出演されていますし、その後、「どうにかなるさ」をサリーに提供したり、PYGに参加したかったとコメントされていましたから。
1989年のタイガース・メモリアル・クラブ・バンドで、「ノー・ノー・ボーイ」を沢田さんとデュエットされた時のかまやつさんの表情が、とても嬉しそうだったのを覚えています。