昨日、久々にジュリーの「un democratic love」を聴いた。

東北大震災以降、彼の作品の多くは政治に対する強烈なメッセージを帯びている。

ザ・タイガースが人気の頂点にいた頃、渡辺プロダクションは既に政界との太いパイプがあり、当時の首相だった佐藤栄作はジュリーにむかって「君の人気にあやかりたい」と言ったそうだ。だがジュリーは政財界の重鎮が集まる渡辺プロ恒例のゴルフ大会に参加しなかった。それは彼が体制側へのアンチテーゼを貫いていた訳では決してなく、独立直前にリリースされたアルバムのタイトルが「NON POLICY」であったように、一人のアーティストとして政治思想とは無縁であることを意思表示するスタンスであるように思えた。だから8年前「我が窮状」を聴いた時、僕は軽い驚きを覚えたのだった。

ジュリーがメッセージ・ソングを連発していることに違和感を覚えるファンもいるだろう。だが僕の眼に映る沢田研二は常に「表現者」だ。4年前の衆議院選で山本太郎氏の応援演説を買って出た時ジュリーは「山本太郎のように、勇気のある38歳の若者が、ちゃんと打って出てくれました」と言った。確かにジュリーから見れば山本氏は若者だろうが、38歳という年齢は決して若くない。1960年代、政治に対して強烈なメッセージを発信していたのは、山本氏よりもずっと年下の学生たちだったのだ。はたして今、若者たちのエネルギーは一体何処に向かっているのだろうか?ジュリーは自らの作品を通して、あの熱狂の時代-若者たちが熱いメッセージを発信していた60年代の〝魂(スピリッツ)〟を表現しているに違いない。少なくとも僕の眼にはそう映る。

2016-03-17