今日は終戦記念日。
1960年代初頭、少年雑誌の世界では多くの戦記漫画が連載されていた。
そんな中で戦争の悲惨さを訴えた名作が、ちばてつや先生の「紫電改のタカ」。
この作品は週刊少年マガジン1963年27号から1966年3・4合併号まで連載された。
最終回、主人公・滝城太郎は特攻隊の一員として基地を飛び立つ。時同じく、城太郎に会うため母と恋人が乗る列車が基地のある大分に着く。
「そのころ すでに 滝城太郎は はてしない大空に とびたっていった
母をすて 信子をすて ・・・・・・・・・・
先生になる ゆめもすてて-
ただ じぶんの死が 祖国日本をすくうことに なるのだということばを 信じようと 努力しながら」
このあまりにも悲しすぎるラストシーンが、二度と戦争を起こしてはならないと訴える作者の熱い思いを伝えている。
1960年代初頭、少年雑誌の世界では多くの戦記漫画が連載されていた。
そんな中で戦争の悲惨さを訴えた名作が、ちばてつや先生の「紫電改のタカ」。
この作品は週刊少年マガジン1963年27号から1966年3・4合併号まで連載された。
最終回、主人公・滝城太郎は特攻隊の一員として基地を飛び立つ。時同じく、城太郎に会うため母と恋人が乗る列車が基地のある大分に着く。
「そのころ すでに 滝城太郎は はてしない大空に とびたっていった
母をすて 信子をすて ・・・・・・・・・・
先生になる ゆめもすてて-
ただ じぶんの死が 祖国日本をすくうことに なるのだということばを 信じようと 努力しながら」
このあまりにも悲しすぎるラストシーンが、二度と戦争を起こしてはならないと訴える作者の熱い思いを伝えている。
コメント
コメント一覧 (4)
題名通りのノンビリとした話も多いのですが、ここ二三か月は戦争末期の話が中心です。
暮らしていた奉天市は8月15日を境に状況が一転。棄民となった一家は、乳飲み子を抱えて引き揚げ船が来ると噂される葫芦島に向かいます。
前号では、偶然出会ったお父さんの親友(中国人)に匿ってもらい、翌年まで屋根裏で生活します。この作品も「戦争の悲惨さを訴えた名作」だと思います。
私はこの作品の連載時は、さすがにまだほんの子供で、読んでいたのかどうか、読んでも内容が伝わっていたのか、今はもうわかりません。ただ「紫電改のタカ」という題名のカッコ良さだけで、今も記憶にとどめているという感じです。
改めてウィキペディアで粗筋を読みました。ちばてつやの描く主人公の顔は、いかにも健康的で明るくて、悲劇的な最期とはまるで無関係なように見えます。
それだけに主人公の辿った道に胸がつまる思いがしました。
コメント有難うございます。
「ひねもすのたり日記」は存じませんでした。貴重な情報、有難うございます。
戦中を生きた方々は、我々には計り知れないご苦労をされていらっしゃるのでしょうね。
つくづくと平和の有り難さを感じます。
コメント有難うございます。
なんと新聞が60年代の戦記漫画を取り上げていたのですね!貴重な情報、有難うございます。
ちば先生というと「あしたのジョー」が有名ですが、「紫電改のタカ」のような戦記漫画、「ちかいの魔球」は野球、また「ハチのす大将」といった医者が主人公の漫画や「ハリスの旋風」「おれは鉄平」などの学園ものなど、少年マガジンでは幅広いジャンルを描かれています。また私は読んだことがないのですが、少女マンガも描かれています。
1960年代は手塚治虫、藤子不二雄、横山光輝、石ノ森章太郎といったビッグネームの先生方もいろんなジャンルの作品を発表されていて百花繚乱の良い時代でした。