僕は長男だったため、子供時代の情報は身近な友人から入手するより手がなかった。
そんな中で幼稚園時代の僕の情報源はトモイマサル君だった。
〝海の王子〟に続いて彼から得た情報が〝ナショナルキッド〟だった。
ナショナルキッドは〝ぼくら〟に連載されていた。
小学校に上がっても最初のうちはトモイ君から情報を得ていた。
彼の影響で〝少年〟の存在を知った。
〝ぼくら〟から〝少年〟へ。
トモイ君と違って家は経済事情があり年に1冊か2冊しか買って貰えなかったが、〝ぼくら〟から〝少年〟への移行は、子供心に成長の実感があった。
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コメント一覧 (6)
当時の番組で覚えているのは「光子の窓」「番頭はんと丁稚どん」「ブーフーウー」などで、母親がチャンネル権を握っていたようです。「番頭はんと丁稚どん(1960.05.16)」を見ていたら母親が産気づき、父親が帰るまで独りで留守番したことを覚えています。
私も長男でテレビ番組の情報がなく、ヒーロー物を見始めたのは小学校入学の少し前でした。また、漫画雑誌は買って貰えず、小学校に入って友達に貸してもらった少年サンデーの「おそ松くん」の印象が強烈に残っています。
「ぼくら」と「少年」は床屋で読んだ記憶がありますが、どちらが高学年向というような認識はありませんでした。ところで、「少年」の表紙は太田博之さんですか?
当時、関西では大村コンさんが大人気でした。家では祖母がチャンネル権を握っていて、コンちゃん主演の番組は全部見ていたように思います。コンちゃんは大塚製薬のオロナミンのCMが有名ですが、その皮切りとなった「とんま天狗」の頭巾を、少し年の離れた従姉が風呂敷を使って作ってくれたのを覚えています。
「少年」の表紙モデルは真藤孝行さんという方です。1962年3月号まで表紙を飾られていました。4月号から川口幸次さんにバトンタッチしました。
ほのぼのとして良い漫画でした。山根兄弟は、この漫画以前にも知っていて、もうベテランという感じでしたが、赤塚や藤子不二雄と年齢的には同じなんですね。
デビューが早くてもっと年上だと思っていました。あと野球漫画の「投げろ!健一」とか愛読していました。「オオカミ少年」も「フジ丸」も1年くらいで終了。その後65,6年くらいからは「河童の三平」やプロレス漫画の「吹けよ神風」を読んでいました。
当時、少年雑誌で一番人気があったのは、やはり「少年」だと思いますが(売り上げ的にNO1),
2番目は意見が分かれるところでしょうが、私としては「ぼくら」でしたね。
あと「少年ブック」も結構良い漫画家を揃えていました。
その意味では、講談社の「ぼくら」「少年マガジン」は、そう一流漫画家は描いていなかったんですね。一流というのは、手塚治虫、横山光輝、赤塚不二夫等ですが。。
「ぼくら」も「少年」と同期時、66年の12月号を最後に購読をやめました。
その一年後「タイガーマスク」というヒット作が産まれるんですが。
「風のフジ丸」はパラパラ漫画がついているメモ帳が学校近くの文具店で売っていて、みんなが持っていたので買って貰いましたが、「ぼくら」に連載されていたことを知ったのはずっと後になってからです。フジ丸の人気があったのは小学校の5年生くらいだったと思いますが、その頃になると漫画から音楽に興味の対象が移っていました。
「少年ブック」は「遊星仮面」が付録についていたのですね。オークションで落札したのを何冊か持っていますが、本誌には掲載されていませんでした。
現在、60年代のマガジン、キング、サンデーなどの週刊誌を落札していますが、いまも読みごたえのある傑作がたくさんあるのに驚いています。
二学年上の兄がいたので、60年代~70年代の少年漫画
サンデー・マガジン・キングなどを読んでいました。
少女漫画は 隣の幼馴染に見せてもらい
自分のお金ではマーガレットを買うくらいでしたが
今思うと、少年、少女漫画のどちらも読めたのは ラッキーでした。
蟹座さんが書かれている、「オオカミ少年ケン」と「風のフジ丸」は
アニメで見ていましたが、「ストップ!にいちゃん」が
とても懐かしいです。 内容などは忘れてしまいましたが
今も絵柄を覚えています。
先日、「エイトマン」の桑田次郎さんが亡くなりましたが
日本の他の漫画に無い、アメコミのようにシャープで硬く
洗練された絵柄が、とてもカッコイイと思います。
昔、桑田さんが拳銃不法所持で新聞沙汰になったのは、
当時、親から聴いて、幼いながらも心を痛めました。
その死は、新聞の訃報記事で短く触れられただけで、
もっと語られてもいいのではないのかと、寂しい限りです。
コメント有難うございます。
60年~70年代の少年漫画を読まれたのはラッキーでしたね。当時は少年漫画の黄金時代といってもいいほど名作で一杯でした。
私にとって桑田次郎先生の作品との最初の出会いは、「まぼろし探偵」の後に少年画報に連載されていた「Xマン」でした。
仰る通り線がシャープで、たとえば洋服の皺の影などが絶妙に描かれていて、他の漫画よりも数段美しく目に映ったものです。
当時、漫画を画くのが好きで、「少年」に連載されていた「電光少年」をよく画きました。
桑田先生の作品は美しいので真似たくなるのですが難しい。
その後も忍者部隊月光は上手く画けるのですが、エイトマンは画けなかったのを覚えています。