一昨日、親しくして頂いている方からお誘いがあり、新宿曙橋にあるBACK IN TOWNというライブハウスでザ・ブロードサイド・フォーのライブを観た。メンバーは黒澤久雄(Vo, G)、鶴原俊彦(Vo, G)、横田 実(Vo, B)、小松 久(Vo, G)の4名。ちなみに黒澤氏は黒澤明監督の御子息。彼らは1960年代 Student Festival 等で活躍し、1966年には同名のテレビドラマの主題歌となった「若者たち」が大ヒット。一躍メジャー・シーンに躍り出た。ライブハウスのサイトには「2003年にはファンの熱い声援に押されて再び活動を始めるもののメンバーの山口敏孝氏が亡くなり中断。が、周囲の要望から小松久氏(ビレッジシンガーズ)の協力を得て、美しいハーモニーを復活させた」と書かれてあるが、いまどきアカペラでもない限り、こんな美しいハーモニーを聴くことはないだろうと思われるほどの美しいハーモニーだった。
彼らが大ヒットさせた「若者たち」という歌には思い出がある。当時小学校6年生だった僕は、隣の席に座っていた女子生徒に好きな歌を尋ねたところ、彼女は「若者たち」と答えて自慢げに歌いだしたのだ。まあ、小学生でも歌える歌い易いメロディーだったもんな。で、同じことを彼女が尋ねたので、僕は「ノー・ノー・ボーイ」と答えた。彼女は怪訝そうな顔をして首を傾げたが、知らなくて当然だと思っていた僕は、彼女の前で誇らしげに歌ってやった。気分よく歌い終えようとしていたら、僕の歌を聴いていた周りの奴らが一斉に僕のことを「不良」と言い出した。この時、「不良」に憧れていた僕の耳には、彼らの声がまるでアンコールの拍手のように聞こえたのだった。
でもコーラスはユニゾンが当たり前、それに「ノー・ノー・ボーイ」のような洒落た大人の歌がない今どきの子供たちはつくづく可哀想だと思う。
コメント
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でもこの曲の重たさは当時の少年たちにとってどんなモノだったのか。
ボクも同じくやっぱりスパイダースに行っていたと思います。
ジャニーズ出身のミュージシャンは多いので、訓練はしっかり受けているのでしょうが 如何せんボーカルはユニゾンが当たり前で面白くないです。
おニャンコからAKBまで ダンスが格別上手いのなら別ですが、ハモりもなくお粗末な歌なので音楽として聴くのはツラいです。
ホントに今の子供たちは不幸としか言いようがないです。
コメント有難うございます。
今でこそ〝東京サウンド〟とかいってリスペクトされていますが、「フリフリ」でデビューした頃のスパイダースは、当時の大人たちの非難の的でした。彼らを取り上げたテレビ番組で街頭インタビューみたいなのがあり、そこで一人の主婦が「かまやつさん、ちょっと前まで守屋(弘)さんらと一緒に歌謡曲歌ってたのに、髪の毛伸ばして、こんな歌うたって、ショック」とか言ってました。当時の彼らの扱いは音楽ではなく〝風俗〟でした。
彼らはしばらく舟木一夫ら青春歌謡歌手の前座を務めていましたが、この年の暮れから人気が出始め、翌年の「太陽の翼」の頃はブルー・コメッツと一緒にミュージック・シーンを席巻していました。「太陽の翼」はムッシュの作品ではないですが、当時の私にとっては自分の生きる場所を与えてくれたような明るさを感じた歌でした。