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大学受験浪人が許されなかった僕は、高校時代の殆どの時間を受験勉強に費やしていた。

辛うじて同志社大学に現役合格できたが、入学式の折、生涯忘れることの出来ないカルチャー・ショックを受けた。勉強が精いっぱいで、容姿など頓着する余裕の無かった僕の目には、周囲の学生たちの垢抜けた姿がまるで別世界の人たちのように映ったのだ。果たして自分は足を踏み入れてはならない場所に来てしまったのではないか、ファッションや文化に関して全くノウハウを持たない自分が彼らとどのようにコミュニケーションをとればよいのか、強烈なコンプレックスに襲われた僕は、式の間ずっと俯いたままでいた。

帰り道、ショックに打ちひしがれ京都の町をトボトボと歩いていた僕の目に、一脈の光明が飛び込んできた。あれは四条通だっただろうか、十字屋という名のレコード・ショップの、その壁面いっぱいに沢田研二が描かれていたのだ。それは京都出身のジュリーを、地元を挙げて応援しているようにも、また前年「許されない愛」でレコード大賞歌唱賞を獲り波に乗る彼を誇らしげに自慢しているようにも見えた。この時、僕は、京都に、そして同志社大学の学生たちに受け入れられる術が閃いた。沢田研二の真似をすればいい。僕は親戚からもらったお祝い金でパーマをかけ、アルバイト代を前借してシャツやジーンズを買った。そしてなんとか学生たちの輪の中に入って行くことが出来た。暫くすると河原町通りで女の子から声をかけられるようにもなった。すべてジュリーのお蔭だ。沢田研二は僕の恩人だ。1973年の今頃、京都の町はこの歌で溢れていた。