加瀬邦彦氏が亡くなった。報道では自らその人生の幕を降ろされたということだが、その死は悔やまれてならない。
加瀬氏は、その余りある才能で、我が国のミュージック・シーンを牽引した。
清野太郎率いるキャノン・ボールでロカビリアンとしてスタートを切ってから、スパイダース、ブルー・ジーンズを経てワイルド・ワンズを結成。グループ結成がビートルズに触発されてというだけあって、グループ・サウンズ全盛時、他のグループが職業作家の手による楽曲をリリースする中、ワイルド・ワンズは〝自作自演〟のスタイルを貫いた。
その才能は、ザ・タイガースの六枚目のシングル「シー・シー・シー」においても如何なく発揮された。この曲が出来た時の様子を、氏は著書「ビートルズのおかげです」で、以下のように語っている。
―そんなある日のことだ。仕事のあと飲みに行って、朝の五時ごろ家に帰り、さて今日は休みだからゆっくり寝てやるぞ、と思ってベッドに入ると電話が鳴った。-略-タイガースの中井マネージャーだ。「急な話ですいません。〝花の首飾り〟の次のシングル盤のレコーディングをしたのですが、もうひとつインパクトがなくて、昨晩の会議で別の曲を加瀬さんに作ってもらおうということになったのでお願いします。昨夜の十時ごろから何十回も電話していたんですが、つかまらなくて困っていたんです」本当に困っている様子だ。「わかった。いつまでに作るの?」「今朝の十時から原宿のポリドールのスタジオでレコーディングするんです。タイガースのスケジュールは今日しかあいていないし、発売日に合わせて、レコードのプレス工場も他のレコードのプレスをすべてストップして待っているんです」「な、なんだって?今日の十時って、朝の十時?あと五時間しかないじゃない」ベッドの横の時計を見た。五時十五分だったー
その後、作曲家として沢田研二の1等賞シリーズ「危険な二人」「追憶」を世に送る。だが、私が最も秀逸だと思っているのが1980年12月23日にリリースされた「おまえがパラダイス」だ。この曲は元ロカビリアンだった加瀬氏にしか作り得ない名曲中の名曲だ。
コメント
コメント一覧 (4)
社会人になってからも加瀬さんと親しい人から、「もしかして親戚?」と言われたことがあるので、似ていることは間違いないのでしょう。
カラオケでは受けを狙って「想い出の渚」を歌うことがありますが、最近は加瀬さんを知らない人が多くあまり受けません。
見かけはともかく物凄い才能を持った方だったのですね。
ご冥福をお祈りします。
コメント有難うございます。MUSASHI様が加瀬さんと似ていると言われてらしたとは驚きです。
私はブルー・ジーンズの頃から加瀬さんのファンでした。当時はリーダーの寺内さんより人気があって目立ってました。友人からケネディ・ハウスに誘われていた矢先の出来事だったので、非常に残念です。
ボクも記載されていた 沢田研二さんを通して "追憶”や"おまえがパラダイス"をはじめとする加瀬邦彦サウンドに影響を受けていたと 今つくづく思っています。
"追憶"…幼い頃に聴いたこの曲が大好きで、カラオケで何度も歌ったことを想い出しました。
加瀬邦彦さんへ哀悼の意を捧げます。
コメント有難うございます。
私の友人は加瀬さんをよく知っていて、明るくて温厚な方だったそうです。長きに亘ってグループを継続されてこられたのも、お人柄あっての所以だったのでしょう。
おーちゃん様の「追憶」、今度、是非お聞かせ下さい。