レトロメディア・囃ハルト商店

1960年代の少年雑誌・芸能雑誌・漫画・アイドル・J-POP・玩具

「ハリス無段」は、「チャンピオン太」がクライマックスを迎える少年マガジン1963(昭和38)年51号から1965(昭和40)年15号まで、1年4カ月に亘り同誌に連載された。この作品は「チャンピオン太」と同じく原作は梶原一騎先生だが、〝柔道〟と〝プロレス〟の違いもあるが全体 ...

桑田次郎先生の「エリート」は、週刊少年キング1965(昭和40)年34号に登場し、翌66年22号まで連載された。原作は「エイトマン」と同じ平井和正先生。ストーリーは、地球の創始者とも思わせる超生命体アルゴールが、気の弱い高校生・竜太郎、超能力を持つ赤ん坊ジョン坊や、 ...

イチロー選手ならともかく、人生における成功体験などというものは、そんなに多くある訳がない。そんな数少なさゆえに、生まれて初めての成功体験というものは幾つになっても鮮明に記憶として残っているものだ。僕にとって1962(昭和37)年9月に起こった出来事は、生涯忘れ ...

1961年の2月から放映された「少年発明王」は、主人公・フジオ少年のヘルメットと円盤の形をしたフジ号が凄くカッコよかった。後に〝まんが王〟が一時、気まぐれに改題した〝小学生画報〟という雑誌に連載されていたことを知るが、漫画を読んだことはない。 ...

外は台風のため大雨が降っているが、8月は少年にとって海の季節だった。1959年(昭和34年)1960年(昭和35年)1961年(昭和36年)     1962年(昭和37年) ...

小学生の頃、夏休みになると午前にテレビで「パルナスこども劇場」という番組がやっていた。「鉄腕アトム」や「七色仮面」「少年ケニヤ」などが再放送されたが、一番印象に残っているのが「アラーの使者」。主演の千葉真一は少年たちのヒーローだった。 ...

スリー・ファンキーズは、1960年1月にジャズ喫茶「テネシー」がおこなったロック歌手募集に、鎌田実、長沢純、高橋元太郎の三人が合格したことがグループ結成のキッカケとなる。三人ともカントリー&ウエスタン出身で、テネシーに合格してからはそれぞれ別のバンドでロックや ...

少年キング創刊号より連載され大人気となった吉田竜夫先生のオリジナル作品「忍者部隊月光」は、1964年(昭和39年)1月3日よりフジテレビ系列28局で放送開始となり、同年7月28日には東映で映画化された。当時、この作品が斬新だったのは、グループ・ヒーローの魁であったこと ...

その愛嬌ある笑顔とファンキーな歌声でカバー・ポップスの黄金時代を築いた坂本九ちゃん。1962年の春、デルシャノンのカバー「花咲く街角」をリリース。彼の持ち味のひとつだったファルセットは、原曲を凌いだ。洋楽の専門誌「ミュージック・ライフ」が行った人気投票で、九 ...

ゴールデン・シックスティーズの幕開けとともに、我が国のミュージック・シーンはカバー・ポップスの黄金時代を迎える。坂本九、森山加代子、パラダイス・キング、ピーナッツ等が大ブレイクすると、弘田三枝子、飯田久彦、スリー・ファンキーズ、中尾ミエ等がそれに続く。と ...

1950年代後半にミュージック・シーンを席捲したロカビリー・ブームは、2年も経たないうちに終息してしまう。当時の風潮は、マイクロフォンの前で直立不動で歌う演歌こそが「音楽」と認められ、ミュージカルのように踊りながら歌うのならいざ知らず、ギターを抱えて暴れながら ...

昭和38年(1963年)8月、マガジン、サンデーに続く第三の少年週刊誌、「少年キング」が創刊された。当時の人気漫画は「0戦はやと」「月光」「キングロボ」。数年前まで古書専門店で比較的簡単に入手できたが、最近はオークションでしか入手できない。目下のところ、昭和38年 ...

今日、近くの図書館に行き、何の気なしに雑誌のブースを見ていたら、「ドラゴンエイジ」という月刊誌が目に留まった。表紙を飾っているのはアニメの〝少女〟。だが中身は殆どが小説だったので、ターゲットとしている読者層が気になり、帰宅して調べたら「少年月刊誌」だった ...

1950年代後期から60年代初頭にかけて少年雑誌の王者は月刊「少年」だった。「鉄人28号」「鉄腕アトム」「矢車剣之助」「海底人8823」「怪人20面相(少年探偵団)」といった連載漫画が実写放映されていた。 ...

僕にとって鉄腕アトムは、アニメよりも実写の方が記憶が鮮明だ。アトムのコスチュームもそうだが、頭の形も変化している。鉄人28号も実写があったが殆ど記憶にない。すぐ終わったように思う。どちらも月刊「少年」に掲載されていた。昭和30年代の月刊「少年」は無敵だった。 ...

「悲しき60才」「ステキなタイミング」の連続ヒットで〝お茶の間のアイドル〟となり、その後も「九ちゃんのズンタタッタ」やニール・セダカのカバー「カレンダーガール」をヒットさせ、映画にも進出を始めた九ちゃんは、ジョニー・マエストロ&クレスツの「モデルガール」を ...

僕は長男だったため、子供時代の情報は身近な友人から入手するより手がなかった。そんな中で幼稚園時代の僕の情報源はトモイマサル君だった。〝海の王子〟に続いて彼から得た情報が〝ナショナルキッド〟だった。ナショナルキッドは〝ぼくら〟に連載されていた。小学校に上が ...

九ちゃんとパラキンは「ムスターファ」と、続いてリリースされた「ステキなタイミング」との連続ヒットで、瞬く間にお茶の間の人気者となる。その人気を受けて、「ムスターファ」の邦題をテーマに1961年5月、映画「悲しき60才」が封切られる。僕はこの映画を、近所の小さな映 ...

黄金の60年代/ゴールデン・シックスティーズは、坂本九とパラダイスキングの〝ムスターファ〟から始まった。 ...

昭和37年(1962年)週刊少年マガジン第1号から梶原一騎のデビュー作「チャンピオン太」が始まった。翌38年(1963年)52号までの丸2年間に亘って連載されるが、その間〝ノックアウトQ〟に始まり〝ダブル・ノックアウトQ〟、〝大空中がため〟、〝人間水爆〟と主人公・大東太 ...

このページのトップヘ