レトロメディア・囃ハルト商店

1960年代の少年雑誌・芸能雑誌・漫画・アイドル・J-POP・玩具

フォーリーブスは言うまでもなく初代ジャニーズの弟分としてデビューした。SMAPが光GENJIのバックで、V6がSMAPのバックで踊っていたように、彼らも初代ジャニーズのバックで踊っていたのだ。彼らの解散間際のヒット曲「踊り子」は、ブルー・コメッツの井上ダ ...

旺文社といえば参考書や受験雑誌を中心とした教育事業を行う会社だと思っていたが、なんと創業30周年事業のひとつとして1960(昭和35)年4月に「週刊テレビ時代」という週刊誌を発刊していた。内容は今の「週刊テレビガイド」のような感じ。チロリン村が懐かしい。黒柳さん、 ...

 加瀬邦彦氏が亡くなった。報道では自らその人生の幕を降ろされたということだが、その死は悔やまれてならない。加瀬氏は、その余りある才能で、我が国のミュージック・シーンを牽引した。清野太郎率いるキャノン・ボールでロカビリアンとしてスタートを切ってから、スパイ ...

1965年、爆発的な人気を呼んだスロット・レーシングカー。もともと1960年代初頭にアメリカで流行った大人の遊びが我が国にやってきたのだ。国内ではニチモのレーシングカー・セットには、当時高価な商品に課税される物品税がかかったそうだ。僕のような貧乏な家の子供は、絶 ...

 マーク・カーランスキーは1968年を〝現代史の大きな転換点になった年〟と位置づけた。1968年はベトナム反戦運動や公民権運動の高まり、パリの五月革命、プラハの春など、世界中の普通の人々が時を同じくして体制に反対する行動を起こした、まさに〝世界が揺れ動いた〟激動 ...

60年代のダンス・ブームが70年代のディスコや80年代のブレイク・ダンス、90年代以降のヒップ・ホップと決定的に違っていたのは、その大衆性にあった。1961年に上陸し62年以降大ブームとなった〝TWIST〟は、「猫も杓子も」「老若男女」を問わなかった。「let' TWIST again」歌 ...

復刊ドッドコムが単行本の「鉄腕アトム」初版本を復刊した。僕が持っていたのは1959(昭和34)年に発刊された手塚治虫漫画全集7巻で、これは初版本の2巻と全く同じ内容だった。 ...

僕は今まで人から頭が良いと言われたことがない。むしろ「アホ」「バカ」と言われ続けてきた。特に小学校の時は酷かった。成績は最低だった。弟が頭が良かったため両親は僕を完全に見放した。頭が悪くて勉強ができないことほど惨めなことはない。だから僕は不良の音楽と言わ ...

1960年代後期、突如ラジオの深夜放送がブームとなり、リクエスト番組で人気を呼んだ皆川おさむの「黒猫のタンゴ」や由紀さおり「夜明けのスキャット」などが大ヒットする。そんな中、ラシオ・ブームの煽りを受け、モコ・ビーバー・オリーブの女性3人がディスク・ジョッキーを ...

今年はストレスの多い一年になりそうな気配。オールディーズを聴きまくって乗り切るしかない。「Little Star」はエレガンツがオリジナルだったと記憶しているが、ディオンやレインボウズなどたくさんのアーティストがカバーしている。レインボウズが一番ドゥ・ワッ ...

今年も気が付けば師走。何かの折に日付を書くとき、今年は平成何年だったっけ?といつも考えながら、あっという間に月日は過ぎてしまった。来年もまた何年かを考えている間に一年が終わるのだろうか。師走になると必ず思い出すのがポールアンカの「マイホームタウン」。1960 ...

1966(昭和41)年10月29日から毎週土曜日の午後8時30分よりNHKで放送された石坂浩二主演「太郎」は、当時小学六年生だった僕のサラリーマンへの夢を決定的なものにした。結局、僕は夢を叶えることは出来なかったが、東海林修氏が作曲し、北村英治クインテットが奏でるテーマ ...

今でも秋になると目が痒くなるのだが、小学生の頃は眼科に通って治療を受けていた。診察を待つ間、眼科の隣にあった貸本屋で「まんが王」を借りて読むのが楽しみだった。1966(昭和41)年当時の「まんが王」は月刊雑誌なのに別冊付録がなく、連載漫画の続きは翌月まで待たね ...

少年時代、親から与えられた物は沢山あるのだろうが、記憶に残っている物は殆どない。唯一、鮮明な記憶を残しているのが、「週刊少年サンデー1962(昭和37)年6月24日号」だ。父と二人、何処へ出かけたのか忘れたが、帰りの地下鉄の中で急に映画を見ようということになり、途 ...

若々しく瑞々しく、そして甘酸っぱい、まるで青春そのものといったオールディーズ・ポップス。数多ある名曲の中で、究極の1曲がVilas Craigの「Little Miss Brown Eyes」。カバー・ポップス全盛時代に誰もカバーしなかった(出来なかった?)ため日本ではあまり知られていな ...

「ハリス無段」は、「チャンピオン太」がクライマックスを迎える少年マガジン1963(昭和38)年51号から1965(昭和40)年15号まで、1年4カ月に亘り同誌に連載された。この作品は「チャンピオン太」と同じく原作は梶原一騎先生だが、〝柔道〟と〝プロレス〟の違いもあるが全体 ...

桑田次郎先生の「エリート」は、週刊少年キング1965(昭和40)年34号に登場し、翌66年22号まで連載された。原作は「エイトマン」と同じ平井和正先生。ストーリーは、地球の創始者とも思わせる超生命体アルゴールが、気の弱い高校生・竜太郎、超能力を持つ赤ん坊ジョン坊や、 ...

イチロー選手ならともかく、人生における成功体験などというものは、そんなに多くある訳がない。そんな数少なさゆえに、生まれて初めての成功体験というものは幾つになっても鮮明に記憶として残っているものだ。僕にとって1962(昭和37)年9月に起こった出来事は、生涯忘れ ...

1961年の2月から放映された「少年発明王」は、主人公・フジオ少年のヘルメットと円盤の形をしたフジ号が凄くカッコよかった。後に〝まんが王〟が一時、気まぐれに改題した〝小学生画報〟という雑誌に連載されていたことを知るが、漫画を読んだことはない。 ...

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