レトロメディア・囃ハルト商店

1960年代の少年雑誌・芸能雑誌・漫画・アイドル・J-POP・玩具

外は台風のため大雨が降っているが、8月は少年にとって海の季節だった。1959年(昭和34年)1960年(昭和35年)1961年(昭和36年)     1962年(昭和37年) ...

小学生の頃、夏休みになると午前にテレビで「パルナスこども劇場」という番組がやっていた。「鉄腕アトム」や「七色仮面」「少年ケニヤ」などが再放送されたが、一番印象に残っているのが「アラーの使者」。主演の千葉真一は少年たちのヒーローだった。 ...

スリー・ファンキーズは、1960年1月にジャズ喫茶「テネシー」がおこなったロック歌手募集に、鎌田実、長沢純、高橋元太郎の三人が合格したことがグループ結成のキッカケとなる。三人ともカントリー&ウエスタン出身で、テネシーに合格してからはそれぞれ別のバンドでロックや ...

少年キング創刊号より連載され大人気となった吉田竜夫先生のオリジナル作品「忍者部隊月光」は、1964年(昭和39年)1月3日よりフジテレビ系列28局で放送開始となり、同年7月28日には東映で映画化された。当時、この作品が斬新だったのは、グループ・ヒーローの魁であったこと ...

その愛嬌ある笑顔とファンキーな歌声でカバー・ポップスの黄金時代を築いた坂本九ちゃん。1962年の春、デルシャノンのカバー「花咲く街角」をリリース。彼の持ち味のひとつだったファルセットは、原曲を凌いだ。洋楽の専門誌「ミュージック・ライフ」が行った人気投票で、九 ...

ゴールデン・シックスティーズの幕開けとともに、我が国のミュージック・シーンはカバー・ポップスの黄金時代を迎える。坂本九、森山加代子、パラダイス・キング、ピーナッツ等が大ブレイクすると、弘田三枝子、飯田久彦、スリー・ファンキーズ、中尾ミエ等がそれに続く。と ...

1950年代後半にミュージック・シーンを席捲したロカビリー・ブームは、2年も経たないうちに終息してしまう。当時の風潮は、マイクロフォンの前で直立不動で歌う演歌こそが「音楽」と認められ、ミュージカルのように踊りながら歌うのならいざ知らず、ギターを抱えて暴れながら ...

昭和38年(1963年)8月、マガジン、サンデーに続く第三の少年週刊誌、「少年キング」が創刊された。当時の人気漫画は「0戦はやと」「月光」「キングロボ」。数年前まで古書専門店で比較的簡単に入手できたが、最近はオークションでしか入手できない。目下のところ、昭和38年 ...

今日、近くの図書館に行き、何の気なしに雑誌のブースを見ていたら、「ドラゴンエイジ」という月刊誌が目に留まった。表紙を飾っているのはアニメの〝少女〟。だが中身は殆どが小説だったので、ターゲットとしている読者層が気になり、帰宅して調べたら「少年月刊誌」だった ...

1950年代後期から60年代初頭にかけて少年雑誌の王者は月刊「少年」だった。「鉄人28号」「鉄腕アトム」「矢車剣之助」「海底人8823」「怪人20面相(少年探偵団)」といった連載漫画が実写放映されていた。 ...

僕にとって鉄腕アトムは、アニメよりも実写の方が記憶が鮮明だ。アトムのコスチュームもそうだが、頭の形も変化している。鉄人28号も実写があったが殆ど記憶にない。すぐ終わったように思う。どちらも月刊「少年」に掲載されていた。昭和30年代の月刊「少年」は無敵だった。 ...

「悲しき60才」「ステキなタイミング」の連続ヒットで〝お茶の間のアイドル〟となり、その後も「九ちゃんのズンタタッタ」やニール・セダカのカバー「カレンダーガール」をヒットさせ、映画にも進出を始めた九ちゃんは、ジョニー・マエストロ&クレスツの「モデルガール」を ...

僕は長男だったため、子供時代の情報は身近な友人から入手するより手がなかった。そんな中で幼稚園時代の僕の情報源はトモイマサル君だった。〝海の王子〟に続いて彼から得た情報が〝ナショナルキッド〟だった。ナショナルキッドは〝ぼくら〟に連載されていた。小学校に上が ...

九ちゃんとパラキンは「ムスターファ」と、続いてリリースされた「ステキなタイミング」との連続ヒットで、瞬く間にお茶の間の人気者となる。その人気を受けて、「ムスターファ」の邦題をテーマに1961年5月、映画「悲しき60才」が封切られる。僕はこの映画を、近所の小さな映 ...

黄金の60年代/ゴールデン・シックスティーズは、坂本九とパラダイスキングの〝ムスターファ〟から始まった。 ...

昭和37年(1962年)週刊少年マガジン第1号から梶原一騎のデビュー作「チャンピオン太」が始まった。翌38年(1963年)52号までの丸2年間に亘って連載されるが、その間〝ノックアウトQ〟に始まり〝ダブル・ノックアウトQ〟、〝大空中がため〟、〝人間水爆〟と主人公・大東太 ...

1961年度のミュージックライフ人気投票で女性歌手部門第1位は江利チエミ、そして男性歌手部門の第1位は守屋浩だった。1961年度といっても発表が3月号だから、〝1960年度の人気者〟といえるのだろう。守屋浩は、後に舟木一夫へと続く〝青春歌謡〟路線の草分けだった。彼の歌う ...

僕の初恋はナショナルキッドに出演していたチャコ姉ちゃんだった。演じていた太地喜和子(当時は志村妙子)さんは48歳でこの世を去った。御命日は10月13日。僕はこの10月13日という日に凄く縁がある。父の命日が10月13日。親戚の中で一番僕を可愛がってくれた伯父の命日も10 ...

1960年代初期、僕の一番好きだった漫画家は故・吉田竜夫先生だった。僕と吉田作品との最初の出会いは少年画報に掲載されていた「パイロットA」。後に「マッハGO!GO!GO!」にリメイクされ世界的ヒットになる。 ...

数あるヒーロー番組の主題歌の中で、一番よく聴いたのが「少年ジェット」の主題歌だ。何故か「少年ジェット」だけは頻繁に再放送されていた。主題歌の最後にナレーションが入る。「少年ジェットこそ、まことの少年の姿である。いかなる困難、危険も越えて少年ジェットは今日 ...

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