レトロメディア・囃ハルト商店

1960年代の少年雑誌・芸能雑誌・漫画・アイドル・J-POP・玩具

今から遡ること48年前の1970年5月9日。大阪万博開催直後の万博ホールで人気歌手を一堂に集め、「全国ヤング歌謡フェスティバル」と題する一大イベントが開催された。手掛けたのは、当時刃向うものなしの渡辺プロ。このフェスティバルでは事前に出場歌手の人気投票を行い、そ ...

1960年代、少年に大人気だった月刊「少年」はお正月と夏休みに増刊号を出版していた。タイトルは最初「探偵ブック」だったが、途中で「スリラーブック」に変わり、60年代中期にはそのタイトルはなくなった。 ...

少年たちの憧れは、宇宙飛行士にパイロット。人気者は長嶋・大鵬・坂本九。そしてこの年は「アメリカン・グラフィティ」のモデルになり、我が国のミュージック・シーンはカバーポップスの黄金時代だった。 ...

今年は〝エルメスの旅するオルゴール〟をいろんな方から頂いたが、オールディーズのクリスマス・ソングといえば〝Baby Please Come Home〟。11月に入ると大阪の各所でイルミネーションによるライトアップ・パフォーマンスが始まった。写真は梅田ヒルトンホテル・京阪大江橋駅 ...

僕が小学校4年生の時、ナベプロの女性シンガーたちが競ってカバーしていたシルヴィ・ヴァルタンの「アイドルを探せ」。そのタイトルと訳詩が、なんとも噛み合っていないことが子供心にも不思議に感じていたが、当時はメロディ・ラインの美しさに惹かれて、あまり気に留めてい ...

スロットカー全盛時代、葉巻型フォーミュラは子供たちの目にとてもカッコよく映った。小学校6年生の冬休み、お年玉を全額はたいて近所の模型屋でロータスフォードのボディだけを買った。スロットカーはボディとシャーシの組み合わせを変えることが出来たので、パーツのバラ売 ...

〝なりたい自分〟になろうと努力して、イイ線いってるのではないかと思った時もあったが、振り返ってみるとまるで正反対の道を走ってきたように感じる。でも結局は、良きにつけ悪しきにつけ、こんな生き方しか出来なかったのかも知れない。自分を掘り下げることの、この上 ...

1960年代も中ごろになると、少年週刊誌は人気のある連載漫画の特集を組み、別冊として販売を始めた。別冊少年サンデーは月刊で、「伊賀の影丸」「サブマリン707」「赤影」など人気漫画が続々と登場した。 ...

 昨日、二十年前から懇意にして頂いている得意先の御夫婦から、BillboardLiveOsakaでのGodiegoのライブにご招待を受けた。その御夫婦は、週に2回はbillboardを利用されるそうで、招待を受けた僕と妻はVIP待遇。客席の最前列、しかもど真ん中の席でライブを堪能することが出 ...

1964年当時、大阪市阿倍野区にある常盤小学校の近くにオオギヤさんというお菓子屋さんの工場(?)or倉庫(?)があり、そこに隣接した家にその経営者の家族が住んでいた。その家族の中に僕と同級生の和田ますみさんがいた。当時僕が忍者部隊月光に嵌っていることを知ってい ...

  1964年6月7日から1965年8月31日にかけてテレビ朝日系列で放送された白土三平作「風の石丸」のリメイク版「少年忍者風のフジ丸」は、1963年に同局で始まった「狼少年ケン」に続く東映動画製作のテレビアニメだった。1965年当時、地元の文房具屋の店頭には、フジ丸や狼少年 ...

1964年、日本中が東京オリンピックに沸く中、少年漫画に新しい形をした単行本が登場した。光文社が出版したカッパ・コミックスという月刊誌と同じ大きさの100頁前後の単行本で、第1号は「鉄腕アトム」。その後すぐに「鉄人28号」が発刊されると、この新しい形の単行本はブー ...

 一昨日、親しくして頂いている方からお誘いがあり、新宿曙橋にあるBACK IN TOWNというライブハウスでザ・ブロードサイド・フォーのライブを観た。メンバーは黒澤久雄(Vo, G)、鶴原俊彦(Vo, G)、横田 実(Vo, B)、小松 久(Vo, G)の4名。ちなみに黒澤氏は黒澤明監督の御子息。 ...

1968年9月1日。僕はこの日を生涯忘れることはできない。この日、始業式が終わって自宅に帰った僕は、その月の小遣いを貰うと早速レコード店に向かった。当時、社会現象ともなっていたグループ・サウンズは、この年ブームの頂点を迎えることとなった。人気の上ではザ・タイガ ...

 1970年8月22日、タイガースは田園コロシアムでライブ・コンサートを行った。その5ヶ月後には武道館で解散コンサートを行っているので、このライブはさしずめその予行演習のようなものだったのだろうか。エンディングの挨拶で沢田研二は、この日のライブにこんなに大勢のフ ...

1965年を皮切りに我が国で空前のブームとなったスロット・レーシングカー。その中で模型会社各社が競ってリリースしたのが〝ロータス30〟だった。そのグラマラスなボディに魅せられた僕は、模型屋のショウ・ウインドウに飾られてあるロータス30から目が離せなかった。当時、 ...

「快傑ハリマオ」は1960年4月5日~1961年6月27日まで日本テレビで放映された。ハリマオ役は勝木敏之氏。彼が考えたのか、テレビのハリマオは独特の拳銃の構え方をしていた。放映開始直後の4月17日には、週刊少年マガジンで石森正太郎先生による連載がスタートし、毎号巻頭カ ...

白土三平先生の〝ワタリ〟は、週刊少年マガジン1965年18号から1967年37号まで連載され、1966年には映画化されるほどの人気を呼んだ。だが、この作品は当時の少年漫画の中では一際異彩を放っていた。この作品の根底に流れていたのは差別社会と、それが生み出す階級闘争であり ...

サイボーグ009は、少年キング1964年30号からスタート、翌65年39号まで連載が続いた。その後1966年4号に読み切りで登場、再連載を匂わせたと思っていたら、同じ年の6月、少年マガジンに単発で登場したかと思うと30号から同誌で連載がスタートした。何故〝キング〟ではなく〝マ ...

1971年の今日、梅田の劇場で「小さな恋のメロディ」を観た。生まれて初めて女性と二人で観たのがこの映画だった。一緒に見た彼女は同級生だったが、頭が良く社会性に富んでいて、当時の僕には憧れの存在だった。だが高校を卒業後、音信不通となり、その後、彼女は行方不明に ...

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