レトロメディア・囃ハルト商店

1960年代の少年雑誌・芸能雑誌・漫画・アイドル・J-POP・玩具

〝なりたい自分〟になろうと努力して、イイ線いってるのではないかと思った時もあったが、振り返ってみるとまるで正反対の道を走ってきたように感じる。でも結局は、良きにつけ悪しきにつけ、こんな生き方しか出来なかったのかも知れない。自分を掘り下げることの、この上な ...

1960年代も中ごろになると、少年週刊誌は人気のある連載漫画の特集を組み、別冊として販売を始めた。別冊少年サンデーは月刊で、「伊賀の影丸」「サブマリン707」「赤影」など人気漫画が続々と登場した。 ...

 昨日、二十年前から懇意にして頂いている得意先の御夫婦から、BillboardLiveOsakaでのGodiegoのライブにご招待を受けた。その御夫婦は、週に2回はbillboardを利用されるそうで、招待を受けた僕と妻はVIP待遇。客席の最前列、しかもど真ん中の席でライブを堪能することが出 ...

1964年当時、大阪市阿倍野区にある常盤小学校の近くにオオギヤさんというお菓子屋さんの工場(?)or倉庫(?)があり、そこに隣接した家にその経営者の家族が住んでいた。その家族の中に僕と同級生の和田ますみさんがいた。当時僕が忍者部隊月光に嵌っていることを知ってい ...

  1964年6月7日から1965年8月31日にかけてテレビ朝日系列で放送された白土三平作「風の石丸」のリメイク版「少年忍者風のフジ丸」は、1963年に同局で始まった「狼少年ケン」に続く東映動画製作のテレビアニメだった。1965年当時、地元の文房具屋の店頭には、フジ丸や狼少年 ...

1964年、日本中が東京オリンピックに沸く中、少年漫画に新しい形をした単行本が登場した。光文社が出版したカッパ・コミックスという月刊誌と同じ大きさの100頁前後の単行本で、第1号は「鉄腕アトム」。その後すぐに「鉄人28号」が発刊されると、この新しい形の単行本はブー ...

 一昨日、親しくして頂いている方からお誘いがあり、新宿曙橋にあるBACK IN TOWNというライブハウスでザ・ブロードサイド・フォーのライブを観た。メンバーは黒澤久雄(Vo, G)、鶴原俊彦(Vo, G)、横田 実(Vo, B)、小松 久(Vo, G)の4名。ちなみに黒澤氏は黒澤明監督の御子息。 ...

1968年9月1日。僕はこの日を生涯忘れることはできない。この日、始業式が終わって自宅に帰った僕は、その月の小遣いを貰うと早速レコード店に向かった。当時、社会現象ともなっていたグループ・サウンズは、この年ブームの頂点を迎えることとなった。人気の上ではザ・タイガ ...

 1970年8月22日、タイガースは田園コロシアムでライブ・コンサートを行った。その5ヶ月後には武道館で解散コンサートを行っているので、このライブはさしずめその予行演習のようなものだったのだろうか。エンディングの挨拶で沢田研二は、この日のライブにこんなに大勢のフ ...

1965年を皮切りに我が国で空前のブームとなったスロット・レーシングカー。その中で模型会社各社が競ってリリースしたのが〝ロータス30〟だった。そのグラマラスなボディに魅せられた僕は、模型屋のショウ・ウインドウに飾られてあるロータス30から目が離せなかった。当時、 ...

「快傑ハリマオ」は1960年4月5日~1961年6月27日まで日本テレビで放映された。ハリマオ役は勝木敏之氏。彼が考えたのか、テレビのハリマオは独特の拳銃の構え方をしていた。放映開始直後の4月17日には、週刊少年マガジンで石森正太郎先生による連載がスタートし、毎号巻頭カ ...

白土三平先生の〝ワタリ〟は、週刊少年マガジン1965年18号から1967年37号まで連載され、1966年には映画化されるほどの人気を呼んだ。だが、この作品は当時の少年漫画の中では一際異彩を放っていた。この作品の根底に流れていたのは差別社会と、それが生み出す階級闘争であり ...

サイボーグ009は、少年キング1964年30号からスタート、翌65年39号まで連載が続いた。その後1966年4号に読み切りで登場、再連載を匂わせたと思っていたら、同じ年の6月、少年マガジンに単発で登場したかと思うと30号から同誌で連載がスタートした。何故〝キング〟ではなく〝マ ...

1971年の今日、梅田の劇場で「小さな恋のメロディ」を観た。生まれて初めて女性と二人で観たのがこの映画だった。一緒に見た彼女は同級生だったが、頭が良く社会性に富んでいて、当時の僕には憧れの存在だった。だが高校を卒業後、音信不通となり、その後、彼女は行方不明に ...

〝ティーンエイジャー〟とは13歳から19歳まで、文字通りティーンを意味するが、僕は12歳の時「ティーンエイジャー向けの」と冠してある「月刊ボーイズライフ」と出会った。それは駅前の100円床屋に置かれてあった。雑多な情報の中に、ゴルゴ13のさいとうたかを先生が「007」 ...

  大学受験浪人が許されなかった僕は、高校時代の殆どの時間を受験勉強に費やしていた。辛うじて同志社大学に現役合格できたが、入学式の折、生涯忘れることの出来ないカルチャー・ショックを受けた。勉強が精いっぱいで、容姿など頓着する余裕の無かった僕の目には、周囲の ...

高校受験の時、ラジオの深夜放送から絶え間なく流れていたPF・スローンの「孤独の世界」。原題の「From A Distance」が「孤独の世界」とタイトルづけられていることから、僕は歌詞の意味内容も知らず、「遠く離れた孤独の世界」を勝手にイメージしていた。そ ...

49年前の今日、ビートルズは日本武道館のステージに立った。彼らの日本でのデビュー曲は「抱きしめたい」だそうだ。僕はこの曲をスリー・ファンキーズのカバーで知った。「ザ・ヒットパレード」という番組で1964年の5月から7月にかけて、丁度今の時期にずっと第1位を続けてい ...

ミッシェル・ポルナレフは1971年8月にリリースしたシングル「シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma chérie)(c/w 初めての愛)」が40万枚を売る大ヒットになったことから実質的にこの時点が日本デビューとなった。同年10月にシングル「愛の願い (c/w 君の幸福と僕の後悔) ...

先日、何気に新聞を見ていたら、小林旭の舞台広告が出ていた。演目は「無法松の一生」。そして共演は浅丘ルリ子だった。旭とルリ子のラブ・ストーリーは、2012年2月22日(水)に放送された「徹子の部屋」で詳しく語られているが、その時旭が言っていたのが、彼が自分の父親と ...

このページのトップヘ