レトロメディア・囃ハルト商店

1960年代の少年雑誌・芸能雑誌・漫画・アイドル・J-POP・玩具

 1970年8月22日、タイガースは田園コロシアムでライブ・コンサートを行った。その5ヶ月後には武道館で解散コンサートを行っているので、このライブはさしずめその予行演習のようなものだったのだろうか。エンディングの挨拶で沢田研二は、この日のライブにこんなに大勢のフ ...

1965年を皮切りに我が国で空前のブームとなったスロット・レーシングカー。その中で模型会社各社が競ってリリースしたのが〝ロータス30〟だった。そのグラマラスなボディに魅せられた僕は、模型屋のショウ・ウインドウに飾られてあるロータス30から目が離せなかった。当時、 ...

「快傑ハリマオ」は1960年4月5日~1961年6月27日まで日本テレビで放映された。ハリマオ役は勝木敏之氏。彼が考えたのか、テレビのハリマオは独特の拳銃の構え方をしていた。放映開始直後の4月17日には、週刊少年マガジンで石森正太郎先生による連載がスタートし、毎号巻頭カ ...

白土三平先生の〝ワタリ〟は、週刊少年マガジン1965年18号から1967年37号まで連載され、1966年には映画化されるほどの人気を呼んだ。だが、この作品は当時の少年漫画の中では一際異彩を放っていた。この作品の根底に流れていたのは差別社会と、それが生み出す階級闘争であり ...

サイボーグ009は、少年キング1964年30号からスタート、翌65年39号まで連載が続いた。その後1966年4号に読み切りで登場、再連載を匂わせたと思っていたら、同じ年の6月、少年マガジンに単発で登場したかと思うと30号から同誌で連載がスタートした。何故〝キング〟ではなく〝マ ...

1971年の今日、梅田の劇場で「小さな恋のメロディ」を観た。生まれて初めて女性と二人で観たのがこの映画だった。一緒に見た彼女は同級生だったが、頭が良く社会性に富んでいて、当時の僕には憧れの存在だった。だが高校を卒業後、音信不通となり、その後、彼女は行方不明に ...

〝ティーンエイジャー〟とは13歳から19歳まで、文字通りティーンを意味するが、僕は12歳の時「ティーンエイジャー向けの」と冠してある「月刊ボーイズライフ」と出会った。それは駅前の100円床屋に置かれてあった。雑多な情報の中に、ゴルゴ13のさいとうたかを先生が「007」 ...

  大学受験浪人が許されなかった僕は、高校時代の殆どの時間を受験勉強に費やしていた。辛うじて同志社大学に現役合格できたが、入学式の折、生涯忘れることの出来ないカルチャー・ショックを受けた。勉強が精いっぱいで、容姿など頓着する余裕の無かった僕の目には、周囲の ...

高校受験の時、ラジオの深夜放送から絶え間なく流れていたPF・スローンの「孤独の世界」。原題の「From A Distance」が「孤独の世界」とタイトルづけられていることから、僕は歌詞の意味内容も知らず、「遠く離れた孤独の世界」を勝手にイメージしていた。そ ...

49年前の今日、ビートルズは日本武道館のステージに立った。彼らの日本でのデビュー曲は「抱きしめたい」だそうだ。僕はこの曲をスリー・ファンキーズのカバーで知った。「ザ・ヒットパレード」という番組で1964年の5月から7月にかけて、丁度今の時期にずっと第1位を続けてい ...

ミッシェル・ポルナレフは1971年8月にリリースしたシングル「シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma chérie)(c/w 初めての愛)」が40万枚を売る大ヒットになったことから実質的にこの時点が日本デビューとなった。同年10月にシングル「愛の願い (c/w 君の幸福と僕の後悔) ...

先日、何気に新聞を見ていたら、小林旭の舞台広告が出ていた。演目は「無法松の一生」。そして共演は浅丘ルリ子だった。旭とルリ子のラブ・ストーリーは、2012年2月22日(水)に放送された「徹子の部屋」で詳しく語られているが、その時旭が言っていたのが、彼が自分の父親と ...

フォーリーブスは言うまでもなく初代ジャニーズの弟分としてデビューした。SMAPが光GENJIのバックで、V6がSMAPのバックで踊っていたように、彼らも初代ジャニーズのバックで踊っていたのだ。彼らの解散間際のヒット曲「踊り子」は、ブルー・コメッツの井上ダ ...

旺文社といえば参考書や受験雑誌を中心とした教育事業を行う会社だと思っていたが、なんと創業30周年事業のひとつとして1960(昭和35)年4月に「週刊テレビ時代」という週刊誌を発刊していた。内容は今の「週刊テレビガイド」のような感じ。チロリン村が懐かしい。黒柳さん、 ...

 加瀬邦彦氏が亡くなった。報道では自らその人生の幕を降ろされたということだが、その死は悔やまれてならない。加瀬氏は、その余りある才能で、我が国のミュージック・シーンを牽引した。清野太郎率いるキャノン・ボールでロカビリアンとしてスタートを切ってから、スパイ ...

1965年、爆発的な人気を呼んだスロット・レーシングカー。もともと1960年代初頭にアメリカで流行った大人の遊びが我が国にやってきたのだ。国内ではニチモのレーシングカー・セットには、当時高価な商品に課税される物品税がかかったそうだ。僕のような貧乏な家の子供は、絶 ...

 マーク・カーランスキーは1968年を〝現代史の大きな転換点になった年〟と位置づけた。1968年はベトナム反戦運動や公民権運動の高まり、パリの五月革命、プラハの春など、世界中の普通の人々が時を同じくして体制に反対する行動を起こした、まさに〝世界が揺れ動いた〟激動 ...

60年代のダンス・ブームが70年代のディスコや80年代のブレイク・ダンス、90年代以降のヒップ・ホップと決定的に違っていたのは、その大衆性にあった。1961年に上陸し62年以降大ブームとなった〝TWIST〟は、「猫も杓子も」「老若男女」を問わなかった。「let' TWIST again」歌 ...

復刊ドッドコムが単行本の「鉄腕アトム」初版本を復刊した。僕が持っていたのは1959(昭和34)年に発刊された手塚治虫漫画全集7巻で、これは初版本の2巻と全く同じ内容だった。 ...

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