レトロメディア・囃ハルト商店

1960年代の少年雑誌・芸能雑誌・漫画・アイドル・J-POP・玩具

    最近、少しだけ時間が出来て来たからか、ふと思い出すことが多くなってきた。もう7年も前だが、ジュリーがワイルドワンズとジョイントした「涙がこぼれちゃう」の作者、吉田Qのことを思い出した。鈴木雅之が〝ネオ・レトロ〟と呼んだ彼の作品は、切なく甘酸っぱいメロ ...

  もうすぐ子供達の夏休みが始まる。小学生の頃体の弱かった僕は、夏休みの間ほとんど遠出することがなかった。当時、僕の家は父、母、母方の祖母、弟、そして母の姉にあたる伯母との6人家族だった。伯母は中之島の商社に勤めるOLで、大阪の最南端にあるガソリン・スタン ...

  大学生になった僕にとって、一番大切だった事はジュリーの真似をすることだった。長髪にパーマをかけ、DOMONのブラウスにベルボトムのジーンズ、それからラビット襟のシャツにスリー・ピースのスーツ、そしてヒールが7センチあるロンドン・ブーツを履いて大学に通った。授 ...

「シャボン玉ホリデー」は1961(昭和36)年6月4日から1972(昭和47)年10月1日にかけて、なんと11年に亘り毎週日曜日の夜6時30分から7時まで日本テレビ系列で放送された。昭和30年代後半、一般家庭における日曜夜の典型的なテレビ鑑賞の流れは、「てなもんや三度笠」→「シャ ...

石川県小松市にある日本自動車博物館を訪問した。まるで迎賓館のような立派な建物。アルファロメオやトライアンフも間近で見るのは初めてだったが、何と言っても目を引いたのはレトロな自動車の数々。現在もスロットレーサー・ファンに人気のある通称〝ヨタハチ〟、トヨタス ...

1968年の今日、僕は生まれて初めて日本のアーティストのレコードを買った。前年の暮れに、我家にレコード・プレイヤーがやって来た。ステレオではなく卓上プレイヤーだった。父の仕事が軌道に乗り出した頃だったのだろう。プレイヤーを買ってもレコードがないと意味がないか ...

京都にお住いの同業者の方からご近所にあるレトロ屋さんをご紹介頂いた。知る人ぞ知る京都昭和レトロ〝いっぽう堂〟さんだ。ご店主の中川氏は中村七之助似のイケメンで、昭和50(1975)年のお生まれ。お店を起こされたのは、子供の頃に超合金のオモチャを買って貰えなくて、 ...

    昨日で2年間に亘る公務を無事終えることが出来た。官職の長の方から花束まで頂き光栄の極みだった。同業者団体の地域の長という役職だったので、引き受けた直後はさぞストレスが溜まるだろうと思っていたが、いざ始めてみると僕の視界には美しい景色しか映らなかった ...

1960年代の人気番組「ザ・ヒットパレード」の台本を入手した。1963年2月12日に放送されたもので、録音もリハも同日なので生放送だったようだ。MCは長沢純さんと豊原ミツ子さん。当時、長沢さんのスリー・ファンキーズは№1アイドルだった。この日の第一位は「史上最大の作 ...

  僕が生まれた時、一緒に住んでいたのは父、母、そして母方の伯母、母方の祖母で、弟が生まれると6人家族となった。テレビのチャンネル権は他界するまで祖母が握っていたが、その祖母がほぼ毎日観ていたのが「スター千一夜」だった。「スター千一夜」は昭和34年から56年ま ...

 梶原一騎原作:ながやす巧作画の「愛と誠」は、誰もが羨むセレブで優等生の美少女・早乙女愛と極貧の不良少年・大賀誠とのラブ・ストーリーで、1973年から76年まで3年半に亘り週刊少年マガジンに連載された。 物語は早乙女愛が初恋の相手・大賀誠を追いかけ回す展開で、そ ...

1971年4月、この年高校2年に進級した僕は、相も変わらず受験勉強に没頭する毎日を送っていた。級友たちは何がそんなに楽しいのか、みんな生き生きとした表情で、それぞれが口元に笑みを湛えていた。彼らにとって高校2年生というのは、青春を謳歌する「よろこびの時」だったの ...

   フォーリーブスは1967年にデビューしたので当初GSの扱いを受けていたが、GS衰退後の70年から弟分の郷ひろみがデビューする72年までローティーンの女の子たちの愛を一手に引き受けていた。ステージでバク転をやったのも彼らが最初で、それを見た僕は今後何かの役に ...

1968年の秋、都心で一人暮らしを始めたジュリーの愛読書は山本周五郎。ドラムを始めたり、カンツォーネを歌いたいと語っているが、どちらもステージで実現している。とりわけカンツォーネに関しては、彼の歌う「アモール・ミオ」はミーナの原曲よりも素晴らしい。 ...

先日「いつものことではあるけれど」を書かれているおーちゃん様とお会いし、音楽に傾倒し始めた年が1975年であることをお聞きした。この1975年という年は僕にとってもエポックな年だった。この年、同志社大学は創立百周年を迎え僕らのゼミでも学園祭に出店しようということ ...

 小学校、中学校、高校、大学と4度の卒業式を経験したが、何れも良い思い出が無い。特に酷かったのは高校の卒業式だった。僕の通っていたA高校は、学区にある10校の中で5番目にランクされていた。高校受験も間近に迫った頃、志望校を決めるに当たり進路指導の教師は僕に、 ...

僕の記憶では1968年という年は、国内外問わず大衆音楽の当たり年となっている。まず国内のミュージック・シーンを牽引していたのは「君だけに愛を」「花の首飾り」「シーシーシー」と立て続けに大ヒットを飛ばしていたザ・タイガースや「エメラルドの伝説」のテンプターズ ...

我が国ポピュラー・ミュージックの草分けがまた一人この世を去った。カントリー・シンガーとしてデビューしたムッシュかまやつ氏の幅広い才能が開花したのは、やはりザ・スパイダースがメジャー・シーンに躍り出た時からだろう。1966年4月にリリースされた「ザ・スパイダース ...

僕が物心ついたとき、ヒーローたちは仮面を被っていた。「まぼろし探偵」「七色仮面」そして「ナショナルキッド」。アニメでリメイクされなかった彼らは、実写版・変身ヒーローのルーツだった。とりわけ「ナショナルキッド」にいたっては毎週のテレビ放送を欠かさず観ていた ...

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